セス・ディキンスン “Anna Saves Them All”

Shimmer 2014年9月号に初出。
分量およそ5800語、日本語訳なら文庫30ページくらい。

あらすじ

クルディスタンに降り立った異星の宇宙船に61人が囚われた。エイリアンは10人分の脳組織を要求し、拒否すれば船内の人質を皆殺しにするという。現地ガイド兼通訳として緊急即応部隊に同行していたアンナには、人命を天秤にかける苦渋の選択を下してクルド人虐殺を生き延びた過去があった。交渉役になったアンナは再び命の選択を迫られる。

登場人物

アンナ・レカニ Anna Rekani
クルディスタン出身のアメリカ人。
エリック・ワイゴーント Erik Wygaunt
アメリカ緊急即応部隊の大尉。
リー・アイシュエ Li Aixue
数学者。
ススリン Ssrin
エイリアン。上半身は人、下半身は蛇で、首から8匹の蛇が生えるナーガのような姿。

感想

  • ピーター・ワッツが blurb を寄せている2024年1月刊行予定の長編 Exordia の基になった短編。ファーストコンタクト、トロッコ問題、サイコパスへの共感、デジタル物理学(この短編では背景設定で少し顔を出す程度)といった要素を並べてみると、ワッツに推薦文の依頼が行くのも頷ける。
  • 尺の都合か、意思疎通の障害はほぼなし。会話はエイリアン側が翻訳機を持っているという理由ですんなり成立する。ナーガめいた見た目は登場時のインパクトこそあるが、普通に話が通じるので、得体の知れなさは減じる。
  • 再読すると、異形のススリンがお目見えするシーンでアンナが「わあ、綺麗な子……」のテンプレをかましているのがわかって笑える。初読時はそんなふうに見えないが、相通じるところのあるふたりが互いの境遇を明かす展開を読んだ後だと、そういう文脈の描写に見えてならない。“A Tank Only Fears Four Things” も同性愛要素を含んでいたし、どうも長編の The Masquerade シリーズにもその傾向があるようだ。ススリンを女性と見なす根拠は声の響きだけだけれども。
  • 人間の脳組織を求める動機はぶっ飛んでいて面白い。面白いのだが、ご都合主義の感なきにしもあらず。どんな設定かというと、現実という暗号を解く鍵、宇宙の計算基盤の脆弱性をハックし書き換えるための鍵が(宇宙的偶然から)人間の精神には埋め込まれていて、それを解読するために脳が必要、というもの。「ポイエーシスが因果的閉包性を破ったときに生じる崩壊生成物」から暗号を読み解けるのだという。そんな驚天動地の秘儀が人脳10個で手に入っていいのだろうか。リーズナブル。
  • ススリンの姉あるいは妹が属する派閥は、宇宙の秘密を手にした後は人類を含め地球の生命を殲滅するつもりでいる。ススリンは別の道を探るために同族を裏切り盗んだ宇宙船で地球に来たという。ススリンに手を貸そうと貸すまいと、エイリアンの艦隊はやってきて地球は確実に滅ぶ。ここでアンナは救える限りの命を救える、ある決断を下す。
  • 過去パートの選択(イラク兵に村民を見逃してもらう代償に肉親と知己に手をかける)はアンナというキャラクタを造形するうえで必要なエピソードという感じが強くて、ススリンに対する取引はというと、そこそこ妥当に思えるもので驚きに乏しい。トロッコ問題的ジレンマを扱う際の受け容れられなさの塩梅がもう少し微妙なラインであるとよい。
  • ところどころ粗くは思えるが、投げっぱなしの設定も長編化で面白くなりそうではあり、刊行されたら読んでみようかと思う。