トマス・リゴッティ “The Night School”

1991年12月 Grimscribe に初出。
分量およそ4400語、日本語訳なら文庫20ページくらい。

あらすじ

カルニエロ先生がまた授業をする。ぼくがそれを知ったのは、映画館からの帰り道に校庭を通って近道をしたときだった。死んで土に還って腐り果て、あるいは遺灰となって煙突から吹き流されて空を穢すそのときが来る前に、自分という存在は本物だと確信できる何か、存在の支えになる何かを知りたい、そんな欲求をとりわけ満たしてくれたのが、先生の授業だった。教えを受けた日々こそ短かったが、先生には事物の根底を露わにする力があるように見えた。その夜はとても寒くて、ひとつだけ残ったコートのボタンも緩んで取れかかっていたから、近道をするのは賢い選択に思えた。

学校の敷地はみっしりと林に囲まれていて、周りからは校舎が見えない。こちらを見なさい Look up here という声が聞こえた気がして見上げると、葉を落とした枝の網目越しにはっきりと夜空が見えた。雲間に満月が輝いていて、雲には闇が絡みついている。宇宙の暗い下水管から不浄があふれ出たみたいな感じだった。空に汚らしい煙が昇り、木々の間に火がちらちらと垣間見える。臭いからするとごみを燃やしているらしかった。進んでいくと煙を吐くドラム缶とそれを囲む人影が見えてきた。そのうちのひとりが「授業が再開になった。あの人が戻ってきた」と言う。別の人に促されて校庭の奥を見やると、校舎の窓からは淡い光が漏れていて、屋根にはいくつも煙突が並んでいる。風が強まって唸るなか、「何か宿題は出ていたっけ」と尋ねてみたが、聞いていないのか無視しているのか、誰も答えてくれなかった。

授業を受け始めて日も浅いうちに先生が病気で休職してしまったから、先生当人の印象はと言えば、ダークスーツを着た痩身の紳士、浅黒い肌、外国のなまりがある声、といった程度の漠然としたものだけ。噂によればポルトガル人で、世界中のあちこちで暮らしたことがあるらしい。他に記憶に残っているのは、先生が黒板に描きつける図に注意を払わない生徒に向ける、叱責の言葉だった。「こちらを見なさい Look up here」と彼は言ったものだ。「見ようとしなければ、何も学べない。あなたは何者にもなれません」。そんな注意を受けるまでもなく先生の描く図に集中している生徒たちも、わずかながらいた。先生の描く複雑な図は勉強に直接の関係がないとは言い切れなかったが、わざわざノートに書き留める気になれない余計な要素が必ず含まれていた。抽象的で奇妙なシンボル、妙な形の幾何学的図形。その本質は原始的で、数学ではなく魔法にまつわるように思えた。記号は化学や物理に関する図を囲むように描かれ、ときにはその意味を変容させているように見えた。なぜ余計なものを、と問われた先生はこう答えた。「真の教師は全てを分かち合わなければならないからです。それがいかに恐ろしく、おぞましくても」。

敷地を進むうちに、周りの様子が変わってきた。木は痩せ細ってねじ曲がり、適切に治癒しなかった骨折を思わせた。樹皮も剥がれ落ちて、腐ったボロ切れみたいに足許に溜まっていた。月に照らされた雲すらも、大気上層で腐敗が進んでいるかのように、腐ってほどけていくように見えた。秋あるいは早春の腐葉土のような、かぐわしい腐敗臭もした。黄色がかった光の方へ、校舎へ近づくにつれて臭いは強くなった。

四階建ての校舎を形作る暗い色のレンガは、まったく異質な歴史に属する別々の時代から寄せ集められたかのようで、通常の作法で建造されたとはとても考えられなかった。打ち捨てられた工場や霊廟、孤児院や刑務所から悪魔が盗んできた建材でできているとでも言われた方が、まだしも信じられそうなくらいだった。ごみ捨て場や墓地、汚水溜めに咲いた花のようなこの校舎で、カルニエロ先生は授業をしていたのだ。

校舎の下の方の階にはちろちろと燃える蝋燭のような光が灯っていた。最上階は真っ暗で何枚も窓が割れている。廊下の先は見通せなかったが、校内を進むのには困らなかった。壁は、外に満ちているのと同じ臭いを発する何かで覆われていた。戸口が真っ暗な部屋、ざらざらした木の扉で閉ざされた部屋をいくつも通り過ぎていくうちに、明かりのついている教室が見つかった。

薄暗い教室は数人の生徒が机についていて、なんの交流もせずに押し黙っている。教壇に先生はいなかった。ドアに近い机に座っても目を向けられることはなかった。ポケットからちびた鉛筆は見つかったがノートがなく、さりげなく教室を見回したが、ノートにできるようなものは見つからない。席のそばに棚があったが、奥行きが深くて腐敗臭も漂ってくるので、探る気にはなれなかった。

分厚いノートを机に積んでいる生徒がいたので、紙を分けてくれないかと頼んでみた。彼はノートをぺらぺらとめくっていたが、ぼくがカルニエロ先生の授業で取っていたノートとは様子が違っていた。余計な装飾にしか見えなかったあの奇妙な図形が綿密に描かれていたのだ。結局、分けられる紙はないとのことだった。宿題は出ていたか尋ねてみると、彼は先生の教えについてまくしたててきたが、聞いた覚えのない概念ばかりだった。排泄力の測定における教訓。汚水の流れとしての時間。空間の排泄物、創造のスカトロジー。自己の空洞化。万物の穢れた統合、夜闇のよどみに溺れる夜の産物 nocturnal product。先生の授業は校舎の別の場所で行われているというが、それがどこなのかは誰も知らなそうだった。ここにいても埒が明かないので、教室を出た。

廊下の壁を覆う樹液のような物質は濃密さを増し、紅葉のような春の土のような、陶然とさせられる香りを放っている。足を運んだことのない校舎の遠いところから、虚ろにこだまする声が聞こえ始めた。その声を追っていくと、廊下の先から汚れた作業着姿の男が歩いてきた。カルニエロ先生の教室はどこか尋ねてみると、最上階だ、と言い、どの部屋かと尋ねると、全部だ、と言う。上にいくとやられちまうぞ、と言って、男は去っていく。

でも、もうこの時点で、ぼくは自分が蓄えてきた知識が、先生から教わったものかどうかにかかわらず、ひとつまたひとつと奪われていくような気分を味わっていた。作業着の男は教室は最上階にあると言っていたが、外から見たとき、最上階は真っ暗だったはずだ。

授業に出て日が浅かったぼくは、同級生にとって自分はよそ者なのだと感じていた。他の生徒がわかっているようには授業を理解できなかったし、先生の意図も汲めなかった。カルニエロ先生に図の書かれた黒板を見ろと言われたこともなかった。だから、腐敗性のカリキュラムの教義も、奇妙な病理の科学も、絶対的な病の哲学も、共通の崩壊に沈み、あるいは暗黒の腐敗の中で上昇し流れてゆく事物の形而上学も、理解していなかった。なにより先生のことを知らなかった。

校内に響く声を追ううちに、上階へ続く階段に辿り着いた。声は階段へ近づくにつれて大きくなっていたが、相変わらず不明瞭なままだ。階段はかなり長く傾斜がきつそうで、薄暗いせいで踊り場もよく見えない。壁を覆っている物体は厚さを増しており、それでいてあるべき実体を欠いているように見えた。腐敗臭も漂ってきていて、秋の朽ち葉のようなノスタルジックな香り、春の雪解けの麝香っぽい匂いが強まっていた。4階建ての校舎の各階は踊り場を挟んだ2つの階段で繋がっている。2階は1階より暗く、壁も黒い物質で完全に覆われていて、滅びゆく世界のはらわたのような、世界が今にも生まれようとしている堆肥のような、万物の礎である原初の不純物、生来の腐敗の匂いがする。

3階に続く階段に、とりわけ熱心に先生の授業を受けていた男子生徒が座っていた。授業はやっているかと話しかけると、「先生は恐ろしい病気に罹った。とてつもない病気に」とだけ言った。別の段や踊り場には他にも似たような生徒たちがたむろしている。その周囲に散らばるノートのページには奇妙なシンボルが描かれていて、落ち葉のように足元でカサカサと音を立てた。

階段の壁は疫病を思わせる黒で膨れ上がり、膿疱や疥癬に覆われて酷く臭く、床の端まで達して黒い霧のように漂っている。3階は廊下の窓から差し込む月光でわずかに照らされているだけで、4階に続く階段は深い闇に沈んでいた。月の光に何人かの顔が浮かび上がり、ひとりがこちらを見つめ、いきなり話しかけてきた。「先生は夜に死んだ。彼は夜と共にある。声が聞こえるか。声は彼と共にある。夜が彼の中に広がっている。あらゆる場所へ赴いた彼は夜の病を抱えてどこへなりと行けるのだろう。聴け、ポルトガル人が我々に呼びかけている」。耳を澄ますと、ようやく声がはっきりとした。「こちらを見なさい」と声は言っていた。

暗黒の霧がぼくのところまで広がってきて、足元から立ち昇る。一瞬、動くことも話すことも考えることもできなくなった。ぼくの中の全てが黒に染まっていく。声は「こちらを見なさい」と繰り返すが、見ようとしてもその動作を果たすことができない。声がぼくを呼ぶ場所を見上げることができない。

暗黒がぼくから流れ出ていったかと思うと、いつのまにか学校の外にいた。ぼくは振り返らず、近道をしようとしていたことも忘れて、来た道を引き返した。さっきと変わらずドラム缶の焚き火を囲む生徒たちは、奇妙な図形で黒く塗りつぶされたノートのページを火にくべていた。何人かが「ポルトガル人には会ったか」「宿題のことは聞いたか」と呼びかけてくる。校庭に入った通りに戻ったとき、彼らの笑い声が聞こえた。学校の敷地から出る頃には、急いでいたせいか、緩んでいたコートのボタンがとうとう取れてしまった。

街灯の下を歩きながら、コートの前をかき合わせ、歩道から目を離さないようにしていたけれど、命じる声を聞いたのだろうか、ぼくはふと目を上げた。雲ひとつない空には満月があって、発光するカビで覆われているみたいにぼんやりと輝き、広大な夜の下水のランプのように浮かんでいた。夜の産物だ、と思ったが、それは意味もわからずになぞった言葉にすぎなかった。

死ぬ前に自分という存在に確信を持ちたいというぼくの欲求は決して満たされることはないだろう。ぼくは何も学ばなかったし、何者でもなかった。いちばん切実な欲求を満たされなかった失望はなく、代わりに途方もない安堵があった。事物の根底を知りたい衝動は消え失せて、それが取り除かれたことに満足していた。次の夜、また映画を見に行った。でも、帰りに近道はしなかった。

感想

  • このサイトで読んだ。
  • 悪夢を書き留めてみたような短編で、実際に短編集では The Voice of the Dreamer というセクションに収められている。
  • 映画を観た夜の帰り道に学校の敷地を通って近道するという状況の説明から間髪入れずに「死ぬまでに自分の存在に確信を持ちたいといつも考えている」などと脈絡なく言い出す。存在論的な恐怖を扱う作風らしいが、語り手がいきなり自己紹介してくれるのには笑ってしまった。
  • 最初に火葬や土葬のイメージが示されて、不気味な異界と化している校舎には土や落ち葉のようなかぐわしい種類の腐敗臭が漂い、どことなく墓場のような印象。ホラーゲームっぽさ。
  • 特にここが興醒めというところはなく、腐った人工物の描写も雰囲気がよく出ているが、それで面白いかというと、結局これはなんの話だったのかという感じもあって、なんとも言えない。夢みたいな話だから、わかりやすい筋を求めたところで仕方ないのだが。
  • 時空や創造に排泄物や汚水のイメージが結びつけられているところに著者のニヒリズムがにじんでいるのかな。下水道から始まる生というか。