オン・オウォモイエラ “Abandonware”

Fantasy Magazine 2010年6月号に初出。
分量およそ4900語、日本語訳なら文庫25ページくらい。

あらすじ

プログラマで、サッカーが趣味で、SFが好きだった12歳上の姉が交通事故で死んだ。レーベル面に「焼き捨てて」と書かれた遺品のZIPディスクには、占いの助言めいた短文を表示する〈セルダン〉という名のプログラムが保存されていた。ばかばかしいと思いつつアドバイスに従って近所の側溝を探れば20ドル札が見つかり、学校を休めばその日に手製爆弾騒ぎで生徒が怪我をした。このプログラムが未来を予測するのだとしたら、姉はなぜ事故を避けられなかったのか。

感想

  • 遺品から浮かび上がる故人の謎を探るという定番のセッティング。姉を亡くした喪失感、唯一の家族となった父との気まずさが、16歳男子の視点から語られる。
  • 「ぼくは話をするのが好きじゃない。姉の話はしたくなかったけれど、そうせざるをえなかった。こんなふうに話は進む。父さんが口を開き、全てを過去形に詰め込んでゆく。アンドレアはすごい子だった、そびえ立つようなナチョスをよく作ってたっけ、きっとおまえにも忘れられない思い出があるはずだ。そうかもね、とぼくも認める。すると父さんはこう言う。聞かせてくれ。身を乗り出して、今にも泣き崩れんばかりにこちらを見る父さんから、ぼくは目をそらす。口を閉ざせば父さんに話をさせることになる。ぼくは会話から逃れるために会話をしなければならなかった」「アンドレアはぼくの姉だったのだ。父さんはきょうだいではなかった。ぼくの姉としてのアンドレアを分かち合えるはずもないのに、父さんはそれを求めてやまず、自分の娘としてのアンドレアを分かち合おうとするばかりだった」
  • 遺品のPCでスペースが埋まる自室は思考が姉に占められている感じがある。面と向かった話をしたがる父親のいる居間を経由しないと外へ出られない動線も息の詰まる感じが出ていていい。
  • 悲嘆が基調となっているなか、姉はオタクにとっての一種の理想という感じで少し微笑ましい。とはいえ色々と手ほどきを受けた語り手は、姉と同じように熱中しているわけではないらしい。「プログラミング、サッカー、SFは、どれも三角法めいたところがある。こなせはするけれど、やっていて楽しいものではなかった」。
  • 未来を予測できるプログラムを書いておいて事故で死ぬのは一種の自殺とも言える。生前の姉が決定された未来という概念をどう捉えていたのかが、プログラムの吐き出す短文から垣間見えていくシーンは不穏でよかった。
  • オムニバス形式怪奇ドラマの一編っぽい出来の良さ。鉄板のフォーマットによって保証される範囲を超えた面白さはあまり感じなかった。
  • 名前の出てくるハード、ゲーム、小説からすると作中は2000年代。作者自身の経験が反映されているとおぼしい。同年代を過ごしたギークにはちりばめられた固有名詞がノスタルジックで一層楽しいのだろう。
  • プログラム名の由来はハリ・セルダン