伴名練「美亜羽へ贈る拳銃」

2011年11月『伊藤計劃トリビュート』に初出。

後半部のウェブ初出版を読むと、「これは、SFじゃない」という一文が目に留まる。このフレーズからは瀬名秀明「SOW狂想曲」が思い起こされる。伴名練は同作のレビューも書いているらしい。複数の人称の駆使、恋愛小説、SFについてのSFといった本作の特徴はいかにも瀬名秀明的だ。本作は瀬名トリビュートだった、というとさすがに牽強付会だろうか。

(邪推すると「あれは医師連絡会の一部の暴走です。大多数はあんなやりかたを非難している」「彼らにとって『神冴の一族としてグループ内部にいること』は一種の聖域」といった記述もどこかで聞いた話に思えてくる)。

語り手の認識を改変するのはお手軽センス・オブ・ワンダーだという指摘にはそれほど感心しなかった。言及される作品群は脳をいじったところで別の問題が生じるだけという観点で書かれているからだ。向こうを張ろうとしているが『聖書』収録作に比肩できているかというと物足りない、ありていに言えばそう感じた。先行作に挑戦するならもっとひねった答えを見たくなる(むしろ直球で初恋に向き合うところがいいのはわかるが、切られた啖呵、上げられたハードルの高さからすると肩すかしに思えた。批評めいた部分の狙いがいまいち掴めていない。SOWを無節操に標榜する『信者』への戒めも含んでいるんだろうか)。

気になった点としては好意と結びつく対象を増やせば浮気できそうなところ(自然に他の人を好きになる可能性も残っているように思えるし、それが無理ならば人々に受け入れられそうにない。好意が湧くだけでなく貞節が固定される理屈もほしい)、ナノマシンの不安定性を持ち出しながら無関心機関は無謬であることが想定されているところ(自律性を脅かすのはナノマシンだけとは限らない)、既存のインプラント酵素の影響を受けない理由が「離れた場所にある」と冴えないところ(酵素が後発のナノマシンに選択的に働くとか適当な理由はつけられる)などが挙げられるが、これらは難癖だろう。本当に引っかかった箇所は他にある。

WKの普及で恋愛小説は絶滅寸前だ。自分が当たり前に持っている感情を文字に起こされても、わざわざ読む必要が無いからね。恋の昂揚なんて外部に求めずとも心の中にある感情を味わえばいい。

美亜羽はこう言っているが、「本人同意で長期のfMRI検査を行わないと、標的ニューロンを特定しえない」以上、これは既に相手がいる者にしか当てはまらない。片思いを強化したり適当な人を選んで好きな人に設定したりはできても、「一度、WKで誰かへの愛を脳に刻んだ人間は、その無効化を生涯拒む」ことを考えれば、おいそれと試せそうにない(別に誰かが永続的に好意の対象になっても困らないかもしれないが)。

自前の感情があればフィクションはいらなくなるというのも疑わしい。物語の色恋沙汰は傍から眺める分には楽しいが、我が身を投じたいとはあまり思えないし、そもそもインプラントを使ったところで複雑な人間関係や感情の機微を作り出せるわけではない。WKによる相思相愛は「それからふたりは末永く幸せに暮らしました」的な境地であり、どちらかというと文字に起こされることの少ない感情だ。「成就した恋ほど語るに値しないものはない」とも言う。恋愛小説が描くのは何も充足感ばかりではない。相手の気持ちがわからない不安、どっちつかずの関係のもどかしさ、とりわけ失恋の切なさを、愛情が固定されたふたりは味わえない。それに誰しも未知に積極的な読者でありたいと願っていても、理解できない本は not for me と遠ざけ、自分が知っているもの、共感できるものに安心してしまうのが実情ではないか。恋物語は滅ぶどころか需要が増すだろう。

美亜羽が放言しているだけで作中の状況を反映していない可能性もある。WKは世界中で何百万挺も作られたと冒頭にある。固有の「仕様書」があること、引き金を記念品の指輪にすることを考えれば使い回しはないと見ていい。数百万の夫婦のうち元々小説を読まない人も多いだろうし、リリースから数年の時点で市場に大きな影響は出そうにない。

滅ぼされがちなジャンル筆頭のSFが他のジャンルを簡単に滅ぼしてしまっていいのか、という話だ。しかも初出では「衰退の一途をたどっている」だったものが現行版では「絶滅寸前」になっている。数度の改稿を経て(単なる語呂の調整という線もあるが)表現が強まったあたりそれなりに根拠があるのかもしれない。しかし美亜羽の述べる理屈はどこか粗雑なSF衰退論にも似て乱暴だ。

恋愛小説が滅んでいようがルネサンスを迎えていようがストーリーに影響はない。登場人物の言動を作者の主張と捉えるのは不当だし、細部をあげつらっていい気になっているのは否めない。それでも自らの得意とする形式をあっさり消え失せるものとして描いているのが面白かったので、こうして管を巻いた。

余談

  • スマートグラスの名称がヒエロニムスなのは眼鏡を使う姿が絵画になっているからか。生前に発明されていなかった眼鏡が知性の象徴として描かれているらしい。
  • 『自生の夢』の文庫解説は背景や元ネタのまとめは完璧だったが、「自生の夢」は言語SFではないという著者の発言を取り上げずに同作を言語SFの系譜に連ねている。ではなんなのかという解釈を読みたかったので少し残念。