グレッグ・イーガン “You and Whose Army?”

Clarkesworld 2020年3月号に初出。
分量およそ13000語、日本語訳なら文庫70ページくらい。

あらすじ

集合精神カルトの船〈フィサリア〉の生まれであるルーファス、ライナス、カイウス、サイラスの四つ子は、神経リンクで互いの記憶を共有している。8歳のときに船が強制捜査されてから16年が経った今は院生や教師として普通の暮らしを送っていたが、ひとり無職だったライナスがある日忽然と姿を消した。兄弟とのリンクは断たれ、アパートはもぬけの殻になっていた。それらしい兆候を共有する暇もなく失踪したことからなんらかの事件に巻き込まれたのではないかと疑ったルーファスたちは捜索に乗り出す。

感想

  • 最近のイーガンはトランスヒューマニズムから距離を取っているっぽいが、本作では記憶の共有に絞って集合精神を扱っている。例によってハイヴマインドとかアホの妄想でしょという揶揄含み。記憶くらいならいけるってことらしい。マウス実験やオプトジェネティクスの成果を踏まえたものだろうか。
  • 記憶はリンクしている人のものも含めて睡眠中に整理されて、起きたときに思い出す。思考や空想を何もかも共有するわけではないが、具体的な計画を抱いて他のリンク先に知られないようにするのはまず無理。世界を征服する超知性なんてものではなく、知識を効率的に共有できる勉強会のようなもの。
  • ルーファスは高校で数学を教えていて、カイウスとサイラスはそれぞれイギリスとドイツの大学で数学を専攻している。ライナスは能力の点では遜色ないが定職がなく、水泳や19世紀文学を趣味としている。
  • この設定なら恋愛関係で話を回しても面白くなりそうなんだけど、そっち方面についてはさらりとふれるに留まっている。リンク用の遺伝子が末梢で発現して指先が光り、床を共にする相手をごまかすのに苦労した、というエピソード。光る場所によってはごまかしようがなさそう。
  • 興信所の調査でライナスがオーストラリアから海外に飛んだことが判明。渡航先を低予算で絞るため、3人は捜索をアウトソーシングすることにする。作品ごとにまるで違う顔に見えることで有名な百面相俳優と似ている写真を手持ちのデータから探すというていのジョークアプリを作り、キャリブレーション用にライナスの写真を使うことで目的を達成。俳優の画像をどうやって合法的に使うか、ストアの審査に通る形でライナスの照会を紛れ込ませるにはどうするか、いかにもそれっぽいディティールがいい。
  • ライナスの口座情報をなんとか覗けないかと興信所で話すくだりで、セキュリティはもっぱら虹彩指紋認証で30歳以下はパスワードなんて使ったことがない、とある。煽られるパスワード世代。
  • ライナスがパリ経営大学院の海外向け奨学金制度に合格していたことが明らかになるのだが、その奨学金の出資者はシミュレーション宇宙論やシンギュラリティ、長命技術に入れ込んでいる94歳の富豪だった。死を目前にした富豪が記憶共有リンクを持つライナスを後継者として利用しようとしているのではないかと3人は訝しみ、直接ライナスを説得するためパリに集結する。
  • 結末の明晰夢の場面ではライナスの真意がぼかして語られる。これで終わりかと拍子抜けするところはある。
  • 記憶を共有していた兄弟の突然の雲隠れの理由を探る変則的な自分探しプロット。捜索パートがだらだらしていて、結末もこじんまりしている。なぜライナスは何も言わずに去ったのかと問うばかりで、ガジェットが存分に活かされていないように思える。最近の作品はハードな方面はマニアックで手が出ないが、手軽に読めるマンデーン風味の短編はデフレ感があって物足りない。
  • 集合精神カルトの船の名前がカツオノエボシの学名。ワッツと似たセンス。
  • 記憶共有リンクの細かい仕組みははっきりしない。どうやって中継・保存されるのかとか、オンオフの方法とか、昔のイーガンならくどいくらい説明しそうなところ。話の進行上説明する必要性も特にないし、ああいうのは飽きたのかもしれない。