チャールズ・ユウ “Standard Loneliness Package”

Lightspeed 2010年11月号に初出。
分量およそ7300語、日本語訳なら文庫40ページ弱くらい。

あらすじ

僕の仕事は他人から転送されてくる痛みや苦しみを時給12ドルで肩代わりすることだ。僕は葬儀に参列し、歯の根管治療を受け、親族の臨終に立ち会い、退職する意向を上司に告げ、夫に浮気を打ち明け、泣いて、呻いて、恥じて、倦んで、悲しんで、怯えて、他人の人生の嫌な部分を引き受けて、自分の人生の時間を金に換えてゆく。

感想

  • インドのコールセンターで文字通りの感情労働に従事する39歳独身男性が語り手。
  • 設定の技術面は少し説得力に欠ける。感情のマスキング(顧客は本来なら感じるはずの悪感情を意識しない)、感情のデータ化、転送先での開封という3つのステップを経て感情の移転はなされるが、他人になすりつける必要が見当たらない。悪感情を意識に上らせないようにできるならそれだけで目的は達成されている。データ化して転送しても脳の器質的な状態までカット&ペーストされてなかったことにはならないだろう。無駄に痛みをおすそ分けしているだけだ。顧客と視界を共有するかも自由に決められるのだが、こちらは顧客の側が拒否しそう。とまあ細かいところが色々気になるが、寓話として読めばいいか。
  • 語り手以外の登場人物は、かつての同僚ディーパク、女性の新人キルティの2人。エンジニアに憧れている専門学校出のディーパクは語り手に感情転送の仕組みを講釈してくる。教授っぽい論理的な語りを真似しようとしてか okay, so が口癖で、自分はこんな仕事にふさわしくないと思っている、という造形が生々しい。俺にはもっとふさわしい仕事があると散々聞かされている語り手が「同感だけどさあ、それって僕にはお似合いだよって暗に言ってるようなもんだよね。その通りかもしれないけど、話を聞くたび悲しくなるからやめてくれよ」と内心でうだうだ愚痴るところもいい。
  • 後半からキルティとのぎこちないロマンスが中心になってくる。僕は女性に見向きもされないけど、キルティは僕を意識して見ないようにしているし、僕が彼女を意識して見ないようにしていることに彼女も気づいているのが僕にはわかる、といかにも拗れた自意識の描き方が可笑しい。冷水器のそばで2回立ち話をしただけなのに、3回目でキスをかまして語り手は自分に戸惑う。キルティもキルティで笑わないし打ち解けもせず、語り手をそれとなく諫めるが強く拒みもしない。
  • 「どうして僕を愛してくれないのさ、と僕は訊く。誰かに何かを感じさせることなんてできません、と彼女は言う。たとえそれが自分自身であっても」。
  • 「キスしてるとき、キルティは僕と目を合わせてくれない。変です、と彼女は言う。そんなふうにする人、いませんよ。そんなこと僕が知るわけないだろ。キスの経験人数は多くなくて、でもそれを彼女に知られたくはなかった。アメリカの映画じゃ目を閉じてやってるけど、片目を開けてこっそり相手を見てる人だってたまにいる。そりゃそうするよなって思う。そうでもしなきゃ、他人が何を感じてるかなんてわかりっこない。確信を持ったり、相手の気持ちを理解したり、相手が自分をどう感じているのか感じたりするには、相手の表情を見るのが唯一の方法のように、僕には思える。だから僕らがキスするとき、彼女は目を閉じているけれど、僕は彼女を見ながら、何を感じているんだろうって思いを巡らせている。何かを感じてくれているといいなと願いながら」。
  • 同様に視線が物を言うのが、祖父の生命維持装置の停止に立ち会う孫の代理体験をするシーン。「最期に孫息子を見たおじいさんは、目をじっと見て、その中に孫を探したものの見つからず、代わりに僕を見つけ、何が起こったのか悟り、けれど怒ったようには見えなかった。ただ傷ついていた」。
  • 語り手とキルティはそれぞれ父親が数十年の人生を抵当にする年金制度に入っている。「彼は他人の人生を生きている。映写幕であり、容器であり、苦痛収容ユニットであって、いわば外付けハードドライブ、他人の利便のための周辺機器であり、ストレスと罪悪感と不幸の貯蔵所だった」。人生の時間と金の等価性を具体的に打ち出したかった、とユウはインタビューで語っている。悪趣味なギャグすれすれだが、笑うに笑えない切実さが滲む。
  • シンプルな文を淡々と連ねていく文体はアンニュイでナイーブ。I am at a funeral. のリフレインが耳に残る。端的な文章の連続に語り手のデタッチメントが感じられる一方で、たまにやたらカンマで繋ぐ長い文章も挟まれる(と言っても最長で一文130語くらいだが)。
  • ふたりは別れてしまい、キルティの父親も亡くなってしまう。語り手は最後にキルティからの感情の転送を受ける。葬式かと思いきや、キルティはどこか見知らぬ丘にいた。ひたすら人生の終わりや破局に立ち会ってきた語り手が新たな旅立ちと始まりを目にし、痛みではなく小さな思い出を感じる結末は苦く寂しく、けれどもどこか爽やか。海を見たことがないという記述が前半にあるために、そんなことは一切書かれていなくても、丘の上から臨む一面の青がはっきりと目に浮かぶ。ずっと平坦なまま推移してきた感情がキルティの歩みと一緒に上昇するのが巧い。
  • ベタな振りをしておいてあえて書かないのがいいねえと思っていたら、短編集収録の加筆版では普通に Ocean と書かれていた。えー。