R・スコット・バッカー “Neuropath”

2008年5月刊行。
本文分量およそ98000語、日本語訳なら文庫500ページくらい。

あらすじ

認知心理学者トーマス・バイブルは大学時代、親友ニールとある〈議論〉を繰り広げた。意志や意識といった人間性の中核をなす概念は脳の機械的プロセスが生み出す幻想にすぎない、それが〈議論〉の主題だった。とある晩、ふたりで酒を飲み交わしていると、ニールは昔日の〈議論〉を蒸し返し、国家安全保障局で神経操作の極秘研究をしていたことを打ち明ける。翌朝、トーマスが二日酔いを抱えて向かった大学にはFBIの捜査官たちが待ち受けていた。詳しい要件も告げられないまま見せられた映像に収められていたのは、痛覚と快楽を結びつけられて自傷しながら絶頂するポルノ女優の姿だった。高度な神経外科技術を有し、NSAから逃れたニールがその誘拐殺人事件の容疑者筆頭だという。親友の凶行を信じ切れないトーマスがサマンサ捜査官と共にニールの動機を探るうちにも、意志や認識を操作される被害者は増えてゆく。まるで〈議論〉を実践し、人間が機械であることを見せつけるかのように。やがて事件は別れた元妻ノーラ、幼い娘リプリーと息子フランキーをも巻き込んで、トーマスの精神を執拗に追い込んでゆく。

感想

認知心理学進化心理学神経科学の知見を盛り込んで経験の幻想性を投げかける近未来テクノスリラー長編。TMSやMRIが発展した2010年代を舞台にしている。ピーター・ワッツに言わせれば、『ブラインドサイト』で扱ったトピックをオタクしか喜ばないハードSFではなく広く『ダ・ヴィンチ・コード』読者向けに仕立てたもの、ということになる(あまり褒めてはいないような気はする)。

ストーリーは〈議論 The Argument〉を中心に展開する。意志や意識、欲求は脳の機械的プロセスの出力であり、自然選択を経た適応の産物であり、自己欺瞞的なものである。そこには動機も理由もなく、ただ連綿と続く原因と結果があるだけであり、行動を決定する不動の動者たる自由意志など存在しない。意識は脳全体が処理している情報のほんの一部にしかアクセスできず、脳は処理プロセスそのものを認識することはできない。作中ではコインマジックの比喩で説明される。マジシャンのコイン消失マジックが驚きを生むのはその手技が観客に見抜けないからで、ひとたびマジシャンの肩越しに覗いてしまえば絡繰りは明らかになり、魔法は雲散霧消する。脳は自らのトリックに騙され、思考や意志がどこからともなく生じたかのように、自分が因果の起点であるかのように感じている。脳は自らを脳それ自体として見ることができない。脳が何を持っているかではなく何を欠いているかという観点から意識経験の諸性質の説明を試みるこの立場は〈盲脳仮説〉としてまとめられる。

殺人鬼と化したマッドサイエンティストを学者と美人捜査官のタッグが追うクライムサスペンス、という結構はお馴染みのもの。事件の調査と並行して主人公トーマスの元妻ノーラとの軋轢や子どもたちの関係が書き込まれてゆく。案の定と言おうかニールはノーラと不倫しており、トーマスと捜査官のサムは情事に至る。浮世離れした題材を手堅いフォーマットで包んでいて筋を追いやすくはあるが、プロットは洗練されておらず、繰り返される議論には(発表から13年が経って内容が陳腐化しているのも一因だろうが)途中で飽きた。サムを聞き手としたトーマスの認知心理学講義の部分が多く、犯罪捜査のストーリーラインは進展が見えづらく、どこか Tips 集の様相を呈してくる。ありがちなシリアルキラーものに認知科学を取り込んで責任や意志、道徳、愛を解体するというコンセプトはいいが、ストーリーが〈議論〉を提示するためのものに成り下がっている(その印象はある意味で正しいことが終盤で明らかになるが、それで不満が消えるわけでもない)。

これは作中で論じられていることだが、そもそも人の心は〈議論〉を信じないようにできているので、人に〈議論〉を受け容れさせることは容易ではない。いくら意識や意志は自己欺瞞だ、妄想だと言われたところで真面目に受け取るのは難しいし、腹で納得することはほぼありえないだろう。そういうわけで、深刻そうな登場人物たちを尻目に「ああ、そういう感じね」と白けた気分で読み進めてしまった。

神経操作の行き着く可能性として人工サイコパスが現れたり、取り回しのいい低磁場MRIが普及し始めていて消費者や被雇用者の脳画像を企業が利用するのを禁止する流れがあったりと、社会的帰結も考察されているが、作中世界はそのとば口に立ったばかりという感じで、サイバーパンク的な路地のテクノロジーにまで達してはいない。その方面を追究した短編 “Crash Space” の方が面白く読めた(同じ路線の長編 Semantica が準備中とのことで気になるが、タイトルだけアナウンスされて10年以上になるっぽい)。盲脳仮説については “The Last Magic Show” と題した論文があり(読んだが理解の追いつかない部分も多かった)、その概説をダイアローグ形式にした掌編 “The Dime Spared” もある。

飛躍した技術としては経頭蓋放射線刺激装置〈マリオネット〉が最後の最後に登場し、それをニールがトーマスに用いるシーンがクライマックスとなる(インフォダンプを暴力と絡めてテンションを保つ手法がワッツのそれと同じで可笑しかった)。何もかもが無意味なのであればニールの思惑にも意味はないではないかと当然の指摘もされるのだが、それに対する答えはどうも釈然としない。デモンストレーションとしての拷問も極端で安直に感じられ、乗り切れないところがあった。

「意志や感情は欺瞞的な妄想にすぎない」という考えをことさら強く押し出すのはちょっと筋が悪かった。そんなことは今さら紙幅をかけて言い立てるまでもない。人間を計算メカニズムと見る視点が机上の論理から現実に実行可能なものとなりつつあるのはその通りだろうが、主人公をうだうだと悩ませるだけでは実りがないのではないかと思う。もう少し社会への影響を描いて、人々の合意を探るような試みを見てみたい。自由意志を仮定せず、犯罪が事故や感染症のように扱われ、予防・治療・隔離の対象になる世界とか(それが面白くなるかはよくわからないが)。