ダリル・グレゴリイ “Damascus”

Fantasy & Science Fiction 2006年12月号に初出。
分量およそ11500語、日本語訳なら文庫60ページくらい。

あらすじ

てんかんの発作で病院に運び込まれたポーラは、神経科医や疫学者から質問を投げかけられる。発作が起きたのはいつからか。同じ症状の人を知らないか。いるはずのない人が見えないか。肉は食べるか。どうやら同様の症例が急増しているらしい。ポーラは傍らに寄り添う「彼」の存在を感じながら思う。全ては計画のうちだ。

感想

  • シングルマザーのポーラが「黄色い家」で暮らす女性たちと交流を深めるうち突如光を目にして信仰に目覚める過去パートと、医師からの聞き取りを受ける現在パートが交互に進行し、徐々にポーラが隠す秘密と社会に降りかかる異変の正体が明らかになってゆく。
  • 側頭葉てんかんや多幸感、存在感 sensed presence といった、宗教体験と脳疾患を結びつけるお馴染みのトピックが取り上げられている。
  • 夫と別れてひとりで娘を育てる重責に耐えかね、酒やドラッグに浸る鬱屈した生活を送るポーラ。そんなとき差し伸べられた手についつい甘え、「黄色い家」の宗教色に警戒しつつも娘の面倒を見てもらったり、食事を世話してもらったりするようになる。前半はスロースタートながらもポーラの窮状がじっくり書かれていてよかった。
  • パウロよろしく伝道に目覚めた後半は核心に迫っていく。どうせウイルスか薬物なんだろうと思っていたら、クールー病の原因である食人葬儀と聖体拝領が重ねられてぎょっとさせられる。献血を利用したバイオテロ同然の布教にも契約の血のイメージを重ねてあるのだろう。
  • 正直に言うとぴんとこず、面白く読めた自信は全くない。イーガンの「銀炎」は主張が迫り出していてわかりやすかったなと軟弱なことを思った。
  • 宗教体験で不可解なのは神の幻視でも恍惚感でもなく、伝道精神に目覚めることだと思う。自分の知ったものを他人にも味わってもらいたい気持ちが異様に強くなるのは何故なのだろう。「知らないのは人生の損失」「全人類に知ってほしい」といった発言にはうんざりするが、おそらくほとんどはコミュニケーション用の便宜的な表現でしかないように思える。本気でそう感じるのはどういう状態なのか。