ピーター・ワッツ “Peter Watts Is An Angry Sentient Tumor: Revenge Fantasies and Essays”

2019年11月刊行。50本の再録記事に書き下ろしの序文を加えたエッセイ集。

周辺情報

書名はアナリー・ニューイッツが短編集を推薦した際のコメントから。元々は副題を書名に提案したが、昨今はリベンジ・ポルノを連想させるのでやめたらしい。2004年のインタビューでは Starfish を「復讐が持つ癒しの力を言祝ぐ物語」と称している。本書にも弾圧や監視への反撃を夢想するエッセイがいくつか収録されているし、近年に発表された短編小説でも大衆の反抗が描かれている。

ブログで読める39本については見出しにリンクを付した。加筆修正された記事もあるが、一見したところ大きな変更はない。

ブログを読むのが面倒くさい場合は、各エッセイで語られたアイデアや思想が凝縮された短編 “Incorruptible” がうってつけ(ただし掲載サイトは少し重い)。伊藤計劃『ハーモニー』との共通点や相違点も興味深いはずだ。

In Love with the Moment. Scared Shitless of the Future

  • 今回エッセイ集の出版を提案されて困惑したという。今どきブログを読みたがるやつはいないだろ、と。ツイッターへの移行が事実上ほぼ必須になっていて、知り合いの作家はツイッターをやっていないことを理由に仕事を断られた。フェイスブックをやっているのは「あいつがあんたのことなんて言ったか知ってる?」と散々聞かされるのにうんざりしたから。
  • 序文タイトルであり、ブログにも掲げているエピグラムについて。「〈今この瞬間〉はとても貴重だからだ。(中略)純粋に利己的な話なら、今のわたしは人生最高の、この身にはもったないくらいの幸せを感じている。もちろん長続きはすまい。インフラの安定した地域で安らかに死ねるとは思っていない。だが少なくとも我が子を後に残していく世界を憂う必要だけはない。わたしは1991年に精管切除術を受けたから。/最大の悲劇、おぞましい環境破壊を引き起こしている人間という種の罪は、未だ直観 gut で多くの決断を下していることにある。直観にとって今この瞬間はいつどんなときも未来よりリアルだ。わたしは懸命に前方を見つめようと、せめて周りを見渡そうとしている。火災旋風、旱魃、殺人的な熱波、数百万人の環境難民、広がるパンデミックと社会の崩壊、不毛なボロクズと化していく生物圏。だが、力及ばないこともままある。わたしの目は壁に書かれた凶兆を見ているが、わたしの腸がそれを読ませてくれない。わたしたちは妄想的楽観主義をプログラムされている。黙示録を目の当たりにしてなお、マッドマックスになることを夢見る。誰が背景に積み上がる骸骨の山に加わることを夢見たりするだろうか」。

Everything I Needed to Know About Christmas I Learned From My Grandma

  • バプテスト派であるワッツ家のクリスマスは「与える」日であって「もらう」日ではなかった。誰も本当に欲しいものを口にせず、本心では気に入っていないプレゼントを笑顔で受け取る。
  • 経済の達人の祖母は1月生まれのピーターへのプレゼントをクリスマスと誕生日でまとめて済ませていた。よくある話だが、13歳の誕生日は別格だった。贈られてきたのは札入れで、中に入っていたカードはカクテルパーティへのお誘いとクリスマス祝いと誕生日祝いを兼ねていた。
  • 「親愛なるピーターへ。このお札入れは貰い物なんだけど、わたしは自分のを持ってるのよ。それで、クリスマスと誕生日の贈り物にしたらあなたが喜ぶんじゃないかって思ったの。誕生日おめでとう! 愛をこめて、おばあちゃんより。追伸:アーニーおじさんが死んだとお父さんに伝えてください」
  • 心底うんざりしたピーター少年は家庭なんか持つものかという思いを強めた。しかし今の家族にはうんざりしていないそうだ。
  • この話をしても「今は幸せなんだ良かったね」と言われるばかりで「とんでもなくムカつくばあさんだな」とは言ってくれないのが不満らしい。

We Need to Talk About Kevin

  • テントを提供した統合失調症のホームレスのもとに警察がやってきたときの話。

And so it Begins

  • G20サミットの開催でトロントに厳戒態勢が敷かれた際、通りに並んだ警察車両の写真を撮ろうとしただけで職質を受けた話。紛らわしいからスーツとネクタイで出勤するなとの警告も出ていたらしい。

Dress Rehearsal

  • これもG20で起こったデモと警察の衝突について。実は大衆を恐れている権力者側が自分たちは力を持っていると安心したいがために行き過ぎた鎮圧行為は行われるのではないか、という説を紹介している。

Extraordinary Claims

  • 心理学者ダリル・ベムは予知能力の統計的に有意な証拠を示すとする論文を発表した。批判者は同じデータを異なる統計手法で分析し、9つの実験のうち1つが予知の実在を実質的に支持しており、2つが予知の不在を実質的に支持しているとの結果を得た。ところが予知を支持する結果については「説得力がないし、ひょっとしたら例外かもしれない」の一言で済ませてしまった。
  • 「並外れた主張には並外れた根拠が必要だ」という定型句を持ち出す者もいる。ここでいう並外れた主張を定義するとすれば、それは「物事の仕組みに関する現行の理解と一致しない主張」であり、今日の世界観は常に正しいことを暗黙の前提としている。これ自体が並外れた主張だ。
  • 再現されない限り信じるつもりはないが、「そんなことはあるはずがないから、そうではない」とほのめかす批判者の姿勢は不誠実だと批判している。

Why I Suck

  • ゾンビの社会復帰を描くBBCのドラマ In the Flesh (『ゾンビ・アット・ホーム』)の外挿を自作と比べて高く評価している。

The Black Knight. In Memoriam

  • 心疾患にも負けず強く生きてきた兄は、どんな傷を負っても「こんなのかすり傷さ」と笑うモンティ・パイソンの黒騎士のようだった。大きな存在だった兄の死を悼み、思い出を語っている。

Viva Zika!

  • 胎児に小頭症を引き起こすと考えられるジカウイルスは、性交渉による人から人への感染例も確認されている。このウイルスにワッツは救世の可能性を夢見る。結局のところ地球が抱える問題の原因は人口過多にある。もしジカ熱(あるいはジカ熱への恐怖でもいい)が世界中に蔓延すれば、人々に生殖を思い留まらせることができるではないか。この救済には苦痛に満ちた大量死も核の冬も社会の崩壊も伴わない。せいぜい関節痛、発熱、軽い発疹で済む。穏やかな人口減少を経た暁には、持続可能性が復活するだろう。
  • 現実には治療法が見つかって例のごとく製薬会社が儲けることになるのかもしれない。夢を見たら現実に潰されるのが楽観主義者の辛いところだ、とのこと。
  • 短編 “Incorruptible” にはこのアイデアが少し違った形で使われている。

Zounds, Gadzooks, and Fucking Sisyphus

  • ある高校教師が英語の上級クラスで『ブラインドサイト』を教材にしようとしたが、Fワードが多すぎる(73箇所)ため許可が下りなかった。保護者から抗議されてはたまらないからだ。修正版を使っても構わないか、という確認の連絡が教師からワッツに来た。
  • 「俺が気に食わないから禁止されるべきだ」との物言いはあらゆる問題でまかり通っているが、21世紀にもなってスウェアワードに文句を言ってるのかよと怒っている。
  • 小説を出版した際に汚い言葉が多すぎると親から苦言を呈され、もっと穏当な表現(zounds とか gadzooks とか)を使えと言われた。しかしその単語は昔なら fuck にあたるものだったし、神を揶揄している点でむしろ冒涜性が高い。聖書はセックスとみだりに口にするなとは言っていない。
  • 悪態の語彙が豊富だと言語スキルが高い、悪態は苦痛への耐性を上げるといった研究もちらっと紹介している。

Actually, You Can Keep a Good Man Down...

  • 上の続き。授業で使ってもいないうちから学校に保護者からクレームが来た話。

Shooting Back

  • 警官にとって街中で民間人を射殺するコストは低く、同僚をかばわなかったときのコストは高い。いわゆる沈黙の青い壁だ。この状況を改善するにはコストを変えるしかない。仮に、同僚を通報しないと自分が殺される確率が高くなるとしたらどうだろう。殺人の罪を免れようとする警官とは別の警官が、ランダムに報復されるとしたら。
  • しかしこの考えは単純に過ぎるし、現実には上手くいかないだろう。そう思ってずっとブログへ記事を投稿することはなかったが、2016年、ダラスで黒人による警察官銃撃事件が発生した。動機は警察による銃撃への報復だった。
  • 投稿しなくてよかったとホッとしたそうだ。

Dolphinese

  • スクランブラーの言語を探る実験シーンはイルカを使った実験が着想元。イルカの知性には昔から興味があり、海洋哺乳類の研究者を志すきっかけでもあったという(高校時代に書いた小説はイルカの言語を解読しようとする科学者の話だとか)。しかし革新的な進展は聞こえてこなかっため、イルカはそこまで賢くないのではと思うようになった。
  • 2016年、イルカは言語を持っているとする論文が発表された。が、その主張は疑わしいとワッツは言う。ある文章が発声されたときに必ず特定の行動が伴うならともかく、ただパルスに構造があるだけでは言語とは言えない。行動が伴わないのは抽象的な話をしているせいかもしれないが、そんなことを言ったらミャアミャア鳴く猫だって抽象的な議論をしているのかもしれない。

HemiHive, in Hiding

  • 視床でつながった結合双生児クリスタ&タチアナ・ホーガン姉妹。ドキュメンタリやちょっとした逸話は聞こえてくるが、神経学的な研究成果や論文はちっとも出てこないことにやきもきしている。
  • MRI画像が見られるならなんだってしてやる」とか言ってて可笑しい。

The Dudette With the Clitoris, and Other Thoughts on Star Trek Beyond

  • まずタイトルからしてなんだよという感じだが、妻にはある場面の台詞がこう聞こえたらしい。
  • 昔はスター・トレックのファンで、小説版を漁り、関連書籍のクッキング・マニュアルにまで手を出し、二次創作もした。人生で初めて参加したコンベンションはスター・トレック関係だったという(そのイベントで最も鮮明に残った記憶は、ハーラン・エリスンが金曜夜に妻を最愛の人として紹介したと思ったら、日曜昼にはふしだらな尻軽だと公衆の面前で罵っていたことだとか)。
  • 映画の不備をつついている。特に転送装置の存在が無視されているのが我慢ならなかったらしい。

The Life Sausage

  • 愛猫バナナとの出会いと生活、別れを綴っている。死の当日の克明な記述が切ない。

No Brainer

  • 水頭症のためわずかな脳組織があるばかりで実質的に脳がない男は何不自由なく生活を送り、IQ126を保持していた。
  • 脳の損傷が増強につながることがある。じゃあこの現象を普通の脳に施せたら凄いことできるだろ、という与太話。

The Yogurt Revolution

  • 短編 “Gut Feelings” の元になった記事。横暴な巨大企業への怒りが伝染病のように広まる「義憤疫」のアイデア

A Ray of Sunshine

  • 作中世界の情勢は悲惨だが、そんな未来に至る道を造っているのは今現在の我々だ。作中人物は聖戦をすることも私腹を肥やすこともなく、進化論や気候変動を否定してもいない。作品は人間本性について幼稚なほど楽観的だ。
  • しかしながら現実に気候変動関連訴訟が起こり、教皇も気候変動を認め、再生可能エネルギーもどんどん効率を増していることを思えば、肥溜めの中にわずかな緑が芽生えつつあるとは言えるかもしれない。

The Least Unlucky Bastard

  • 人食いバクテリアに感染したときの体験談。意識が朦朧とする中、あと2時間の命だと言われたり、電話をかけてきた兄から温暖化に対する態度を問われたりしている。
  • ブログには手術の過程を綴った連載記事がある。人体模型かと思うくらいぱっくり開いたふくらはぎの写真が見られる。ワッツはヴァジャイナ・ボーイを自称している(どんな異能を持っているかは不明らしい)。

No Pictures. Only Words.

  • 94歳で亡くなった父親の思い出を語っている。同性愛者であることをほぼ生涯に渡って隠し通した牧師の父を語る文章には、複雑な同情と愛情がこもっている。
  • 高校時代に泥酔して帰ったとき、母は体面を気にして騒ぐ一方、父は叱責せずその日のことを優しく聞いてくれたという。
  • つい小説と結びつけて読んでしまう。

Prometheus: The Men Behind the Mask

  • 『プロメテウス』は科学考証がでたらめだし登場人物の行動もストーリーもガバガバだと酷評している。

Motherhood Issues

  • 未成年者は免許を取れないし投票権もない。酔っ払いが運転すれば罰せられる。どちらも判断力に欠けているからだ。これは常識で誰も疑っていない。なら、我が子が最優先になって理性的な判断ができない子孫中毒者である親の権利も制限されていいんじゃないか。
  • 書籍版は加筆あり。好色な人、禁欲主義者、老人も不適格。残るは化学的に去勢されて性衝動が抑制された親でない人だが、自らの生命に社会全体の幸福よりも不合理なほど高い価値を置く生存本能も抑制する必要がある。となると残る候補は潜在的な自殺者だ。しかし鬱病も判断力を損なうので、結局は投票そのものを諦めなければならない。
  • ふさわしい人が誰もいなくなる落ちがついたことで印象がマイルドになっている。
  • 「猫好きの判断力も歪んでいるのでは」とのコメントには「猫への愛は知能を高めるんだよ。自明だ」と返している。

The Halting Problem

  • 愛猫チップとの思い出を綴る追悼記事。
  • 付けていたコンタクトレンズを爪でかっさらわれた経験があるという。

Chamber of Horrors

  • 14歳のとき、手製の装置でカエルの代謝を測定しようとした際、二酸化炭素吸収剤として使った洗剤にカエルが跳び込み、死んで(殺して)しまった。
  • 今度は鉛のBB弾を撃たれたカエルから弾を摘出するため、麻酔代わりに冬眠を誘発して切開を行った。カエルは凍傷にかかってしまったが、どうにか元気になった。
  • 生物を思いやりつつ生命の仕組みも知りたいという葛藤の原体験。

The Best-Case Apocalypse

  • 進化生物学者寄生虫学者である友人ダン・ブルックスとその同僚が行った気候変動に関する疫学的予測の紹介。気温の上昇で疫病や寄生虫の活動地域が拡大し、2030年代からは都市圏パンデミックが頻発、人口の60%が感染、20%が死亡するとの分析。伝染病にのみ注目しているため、これでも楽観的に過ぎるとワッツは言う。

Nazis and Skin Cream

  • 大統領選挙に際し沸き起こった「ナチをパンチ」ミーム。騒動のさなか「女は殴らないのか」と揶揄する画像が炎上。また、マンデラを引用したオバマのツイートは史上最多のいいねを集めた。一連の流れから何が学べるか。
  • 保湿クリームと発疹の関係のような中立的データを解釈させると、数的能力が高い人ほど正しく理解する。ところが銃規制と犯罪発生件数の関係のような政治的データの場合、数的能力が高い人でも信条と矛盾するデータを正しく理解できなくなってしまう。所属集団の意見に迎合して溶け込めば適応度は上がる。つまり部族主義は真実を打ち負かす。
  • 画像で殴られているのが男か女かが違うだけで、どちらの陣営もやっていることは変わらない。「愛は憎しみよりも自然に心に芽生える」なんて言葉を賛美しておきながら部族主義を発揮して相手を憎む一貫性のなさを指弾している。

Ass Backwards

  • 意識に限らず、進化においてなぜ○○は生じたのかと問うても意味がない。環境が変化して、その条件に対する適応が生じるのではない。逆だ。適応形質は環境変化の前に生じていなければならない。でたらめに生み出された大量のモデルのうち、たまたま条件に合って残るものがあるだけだ。
  • 意識は筋肉への矛盾する命令を調停するためにあるのかもしれないし、鳥の翼のような前適応なのかもしれないし、役立たずなのかもしれない。が、それらは意識が舞台に登場した後にのみ意味を持つ問いであり、論点をごまかしている。問うべきは、実際になんらかの機能を果たす前に自己覚知が現れたとして、それはいかにして起こったのか、だ。

And Another Thing (The Thing, 2011)

  • 似ているところが多すぎて、リメイクではない前日譚とは思えなかったとの評価。出来には不満だったが「リメイクで時間を無駄にしないで代わりにワッツを読め」という声が上がったので満足したらしい。

Oprah's X-Men: Thoughts on Logan

  • X-MEN』のミュータントを抑圧される犠牲者のメタファーと見る解釈には与しない。強大な力を持つ彼らはその気になれば相手をいともたやすく潰せるのだから。
  • 『LOGAN』はシリーズ最高の作品と思えたが、終盤で何もかも台無しになっている。超能力を持つ子供たちはなぜか追いつめられるまでその力を使おうとしない。標的が強大な力を持っていることを知っているはずの悪役もなぜかごく普通の歩兵を差し向ける。子供たちはそもそもローガンより強いことを考えれば、彼の死にはなんの意味もない。ミュータント=犠牲者という思考に囚われた制作側は、積み重ねたストーリーと人物描写を無意味なものにしてしまった。
  • やはり抑圧というトピックに一家言あるんだなと思った。

Cambridge Analytica and the Other Turing Test

  • マイクロターゲティングによる人心操作に人々は戦々恐々としているが、広告や議論とやっていることは変わらない。みんな音と視覚刺激で相手を再プログラミングしようとしている。アルゴリズムが行う操作を友人や家族はもっと巧みに行うだろう。文句を言っている人は選挙を、議論を、会話を禁止しろとでも言うのか。
  • 操られるのが嫌ならツイートするな。どうしてもフェイスブックをやめられないなら、本当は嫌いなものを「いいね」してデータを汚染しろ。データの収集に最適化されたプラットフォームをわざわざ選んでアルゴリズムに餌をやるな。
  • フェイスブックで政治談議をしている相手がみんなボットになって、居心地よく意見を肯定してもらえる未来を想像してみて」との警告に対して、ワッツはチューリング・テストに合格するAIの誕生を見る。でも、それは賢い機械を作ることではなく、人々をもっと間抜けに仕立て上げることで達成されるのかもしれない。
  • 「神の目」でも見た理屈。赤ん坊を使った広告には吐き気がするらしい。

Life in the FAST Lane

  • FAST という危険人物検出システムが現実に検討されている。緊張を示す身体反応を悪意の兆候と見ることの是非について。機械による誤検出はもちろん問題だが、人間の警備員も偏見を持っている。機械にも偏見が生じる恐れはあるが、それを取り除くのは人間から取り除くよりは安上がりかもしれない。

Smashing the Lid Off Pandora's Box

  • パリ協定で設定された目標を達成する見込みは絶望的であるとのIPCC報告書を読んで落ち込んだ話。希望を持たせるような論じゃないと受け入れられない風潮への不満。カンブリア大学のジェム・ベンデルが提唱する「Deep Adaptation」の紹介。

The Split-brain Universe

  • 汎心論は電荷やスピンのような物質が元々持つ性質に意識を加えるが、そう解釈したとしても、なぜ低次の意識が集まって高次の意識が生じるのかという組み合わせ問題は解決されない。哲学者バーナード・カストラップは全く逆方向から考えた。「ただ宇宙の意識だけが存在する。わたしたちを含むあらゆる生命は宇宙の意識に生じた解離性人格であり、周りを囲む命なき世界は宇宙の思考なのだ」「最初の交代人格(意識ある個体)が出現するまで、宇宙の意識が持つ現象的内容は思考だけだった」。
  • どう考えてもイカれてるけど掲載誌は査読を行っているしチャーマーズデネットのような大物も登場してるんだよなあ、と困惑している。
  • 「地球というごく限られた局地の基準でいうと、解離性人格障害は治療されるべき病気に分類されており、交代人格が統合されたときに限り患者は健康と見なされる。これをスケールアップすると、今存在する宇宙全体は『病んでいる』ことにならないか。分裂した人格の再統合が唯一の治療法だとしたら、宇宙が健康を回復するには意識を持つ全実体を『存在』という名の原初の海に還すしかないのだろうか。わたしたちは病魔であり、わたしたちの根絶は治療になるのだろうか」
  • まずカストラップの着想が異常で面白いし、結局そこに持っていくのかよって感じの落ちにも笑った。

The Limits of Reason

  • 宗教原理主義者や温暖化否定論者のような自説に固執する人を理性的に説き伏せることの限界について。人心掌握ツールとしての理性・多弁、口車に対する適応としての認識バイアス。
  • エホバの証人が自宅に来たとき相手の主張を逆手に取ったが効果はなかった。「人間固有の性病が大洪水を生き延びたのはノアの一族が淫奔だったからじゃないの」と指摘すると「性病は原罪を犯した女性への罰ですよ」と女性信者は答えた。
  • 頑なに自説を曲げず熱心に布教する人が人口の10%ほどもいれば時間とともに多数派になっていく、というネットワーク分析の研究を引いている。これが正しいとすれば否定論者たちを笑いものにするくらいしかできることはない。

Changing Our Minds: “Story of Your Life” in Print and on Screen

  • 短編SFを書く作家が共有する秘密の祈り。「わたしが作品を発表する年にテッド・チャンは発表しないでくれ」。
  • 映画版は各要素が結びついているのがいいよね、との評価。チャン作品を映像化するにしても「あなたの人生の物語」は(映像化に向いてないから)自分だったら選ばないだろう、とも。

The God-Shaped Hole

  • 進化論の誤った解釈を持ち出して神が存在する証拠を説いたフランシス・コリンズ(ヒトゲノム計画関係者)をこき下ろしている。

Dumb Adult

  • 文章を読みやすく単純にするというヤングアダルトの方針は水準が下がるばかりで将来のためにならないのではと(老人の繰り言であることは認めつつ)述べている。
  • 「子供たちのために」というおためごかしが気に食わないのだろうと思った。

In Praise of War Crimes

  • 自律型無人兵器と戦争犯罪について。自律型の機械が誤殺したときの責任の所在はどこにあるのか。本当の脅威は機械の誤作動そのものより、機械の誤作動を悪用した戦争犯罪の回避にある。

The Last of Us, The Weakest Link

  • フィクションの未来はインタラクティヴ性にあると思っていたが『The Last of Us』をプレイして考えを改めた。同作のストーリーはとても出来が良く、猫が死んだときくらいしか泣かないワッツが涙をこぼしたほどだったが、その完成度ゆえにインタラクティヴ性の限界を悟ったのだという。プレイヤーの選択は物語にほとんど影響を及ぼさないからだ。
  • 緻密に構築され計算された物語にとって一番の足手まといはプレイヤーだ。TRPGを遊ぶのは楽しいが、プレイヤーが束になったところでニュアンスに富んだ複雑な物語は生まれない。どれだけゲームが洗練されようと『プレイヤー』がアップデートされない限り、旧弊な小説家にもまだまだ仕事はありそうだ。
  • ゲームを楽しむにも人間やめなきゃいけないのかよと少し笑った。

Martin Luther King and the Vampire Rights League

  • ニューロ・ダイバーシティにソシオパスは入らないのか。コミュニティの一例として Sociopath World というサイトを紹介している。

Black & White

  • シャチのショーは修正第13条の奴隷制の禁止に違反するとしてPETAが起こした(却下済みの)訴訟で、被告側が提示した2つの反論(憲法は動物に適用されない、これが通れば動物園から警察犬まで動物が関わる何もかもがめちゃくちゃになる)を軸にあれこれ書いている。

Gods and Gamma

  • 側頭葉てんかんを患う男性が治療の一環として薬の服用を中断したら、これといって宗教を持っていなかったにもかかわらず、神と会話する幻覚を見て伝道精神に目覚めた(その後の抗精神病薬の投与で元に戻った)。ちょうどそのとき脳波を測定していたので記録が取れた、という研究の紹介。そこからサウロの回心てんかん説に繋げている。

“PyrE. Make them tell you what it is”

  • 遺伝子改変インフルエンザウイルスの研究成果の発表を巡るいざこざの話。(自然変異や流出事故の恐れだって普通にあるのだから)悪用を心配するより成果を共有して知見を積み重ねた方が建設的、というごく穏当な見解。
  • そんなこと言って兵器化なんちゃらが作品によく出てくる。
  • 枕として『虎よ、虎よ!』のパイア全世界配布を引いている。ワッツは同作をアイデア密度の高さから評価している。

Understanding Sarah Palin: Or, God Is In The Wattles

  • 科学的な経験主義に裏打ちされた社会が少なく、宗教原理主義が隆盛を誇っているのはなぜなのか。『エコープラクシア』でも取り上げられた、社会を持続させる適応形質としての宗教を論じている。

The Overweening Overentitlement of the Happy-Enders

  • SF作家は影響力があるんだから希望を挫くようなディストピア作品を書いて問題を突きつけてばかりいないで解決策も提示しろ、との声に対する返答。
  • この意見は解決策が未だにないことを暗黙の前提としているが、解決策は昔から明白だった。IPCCによる報告書もひとつの方策を提案している。化石燃料を禁止し、肉製品・乳製品を食べるのをやめればいい。畜産業が生み出す温室効果ガスは車の排気ガスに匹敵する。
  • 「難しすぎる? 一晩で脱石油経済に切り替えられるわけがない? よし、それじゃあ効率的で、単純で、最寄りの外来に行くくらい手軽な方法を教えよう。生殖をやめなさい。あなたたちがひりだす子供は、ひとりひとりが未来まで残るゴジラ級のカーボン・ブーツプリントだ。大体、76億人もいれば充分では? あなたの遺伝子ってそんなに特別? 男性の半数が精管切除術を受けるだけで、きっと一世紀は時間が稼げる。おまけに子供のいない人は子持ちよりも可処分所得が高い傾向にあるだけじゃなくて、統計的にも幸福度が高い」
  • ジェヴォンズパラドックス(資源利用の効率が上がるとむしろ消費が増える)を考えると、技術による解決は難しい。食べられるときに食べられるだけ食べようとする人間本性こそが問題の核心だからだ。本性を修正できるテクノロジーがあるとしたら、それは遺伝子技術しかない。「わたしたちは人類文明を救えるかもしれない。人類であることをやめれば」。
  • ハッピーエンド主義者は楽で簡単でなんの犠牲も払わなくていい解決策が与えられて当然と思っていると痛烈に批判している。
  • この考え方も短編 “Incorruptible” にそのまま反映されている。

The Cylon Solution

  • デイヴィッド・ブリンは主張する。「権力者をも精査の対象とする監視社会は〈透明な社会〉である。人間は霊長類で、権力者はアルファオスだ。政府の監視を禁じるのはシルバーバックのゴリラを棒で突くようなものだが、見つめ返すくらいなら許してくれる」。ワッツは思った。「おいおい、シルバーバックはアイコンタクトを挑戦と受け取るんだぞ」。見つめ返すとどうなるのかは、例えばスノーデンの場合を考えてみればいい。
  • ネット断ちすれば監視を防げるかもしれないが、あらゆるものがクラウドベースに移行しつつある今、オフラインになるのは感覚を奪われるに等しい。そこで、ネットに接続すらできないレトロな機械に個人情報を保存するのが一戦略になりうる。それでもプロが本気になれば探れないわけではないが、少なくとも調査コストは上がる。クラウド化の流れはそうしたコストを低下させている。
  • SNSをやってないと変人扱いされる風潮はクラウド化を進めるための陰謀なんだよ、みたいな落ちが可笑しい。
  • 名前が出てくるブルース・シュナイアーの『超監視社会』ではワッツが引用されている。

The Physics of Hope

  • ブロック宇宙論において時間は存在しない。それに対して「空間は幻想かもしれないが、時間は現実に違いない」「物理法則は固定されておらず、時とともに進化する」と主張するリー・スモーリンの本 Time Reborn の感想記事。
  • ある意味で何も起こらず自由意志の余地もないブロック宇宙よりスモーリン宇宙の方が希望が持てるとのこと。

A Renaissance of Analog Antiquity

  • 監視社会と情報媒体の話の続き。VHSのような作品を真に所有できるメディアの復権を唱えている。

Pearls Before Cows: Thoughts on Blade Runner 2049

  • 優れた部分があることは認めつつ不満な点をいくつか挙げている。生殖できる=人間であるという論理に疑義を呈しているのも面白いが、一番気になるのは、そもそも従順に作られたはずの新型レプリカントがなぜ反乱を起こすのか、という点だという。
  • 「下位の者が奴隷であることを望むとき、奴隷制は果たして悪いことなのか。合意が交わされていても、それは奴隷に当たるのか。ああ、確かにレプリカントは従順であるように設計されていて、自分たちがどのように設計されるのかを一切選択できない。だからといって、彼らの欲望は偽物になるのか。設計に物申せないのはわたしたちも同じだ。造り出された欲望の価値は、自然の減数分裂によるでたらめなシャッフルから生じた欲望に劣るのだろうか。欲望を忌まわしいものにするのはその欲望の本質なのか。奴隷でありたいという望みは原則として道徳的な嫌悪を催すから、その望みが心からのものであろうと断じて尊重すべきでないのか。もしそうだとしたら、BDSMにおける服従側についてはどうだろうか」。
  • 本作が展開しえたテーマの端的な実例として『宇宙の果てのレストラン』の食べられたがる牛を引き合いに出している。
  • タイトルは聖書の一節のもじり。本作は真珠のような映画だが、真珠は本質的には異物に対する牡蠣のアレルギー反応であり、不備を包み込む美しいバンドエイドなのだ、と締めくくっている。
  • 反応するところに個性が出ていると思った。あと比喩がいかにもな感じで良い。

Lizards in the Sink with David

  • LSD体験記。『2001年宇宙の旅』の例のシーンを見たりトマトを食べたりしている。