ダリル・グレゴリイ “The Continuing Adventures of Rocket Boy”

Fantasy & Science Fiction 2004年7月号に初出。
分量およそ9500語、日本語訳なら文庫50ページくらい。

あらすじ

16歳のとき、親友のスティーヴィーは自主制作映画の撮影中に自作ロケットの爆発事故で死んだ。カメラマン担当の僕も傷を負い、松葉杖と人工肛門が手放せない身になった。あれは単なる事故だったのか、大人になった今も確信が持てずにいる。スティーヴィーの身体には青痣があったのだ。彼の両親が新たに子供をもうけたとの報せを受け、僕は故郷へ舞い戻ることにした。

感想

  • 70年代から80年代にかけてSF映画・ドラマに夢中になったふたりの青春と、親友を失った男の過去への再訪を描く。
  • 語り手のティムはスティーヴィーの両親と交流を再開するが、子守用の通信機を盗聴したり家に侵入して監視カメラを設置したりと怪しげな行動を取り始める。なんでこんなことをするのかと疑問に思いながら読み進めると、過去にスティーヴィーが父親から受けていた虐待が関係していることがわかってくる。ティムは過去の過ちが繰り返されるのではないかと疑い、事態に気づきながら何もしなかった無力な自分を悔やんでいるようだ。
  • ティムに痣を見咎められたスティーヴィーは「こんなもんただの身体さ。痛みは装備が発する信号にすぎない。身体は機械、心はパイロット。この痣だって外殻が損傷しただけだ」と強がる。しかも打ち上げシーンの撮影前に見せてくれた絵コンテには、主人公ロケットボーイが生身で宇宙戦闘機から緊急射出される場面が描かれていた。上の言動も合わせると、スティーヴィーは死によって「脱出」を図ったのだという考えがどうしても浮かんでくる。
  • 当然のことながら事故じゃなくて自殺でしたという話にはならない。残されたフィルムの中で、スティーヴィー演じるロケットボーイは地表への再突入をパラシュート降下で生き延び、痣だらけの肌を晒し血糊に塗れながら大地に立ち、高々と手を掲げる。受けた傷を名誉の印に転換してみせる姿が力強い。
  • 田舎に住む少年たちの映画撮影、虐待、家族の再生といった要素こそベタなのだが、それらがノスタルジックかつ切実なものに仕上がっている。夜の散歩とか、爆竹とG.I.ジョーのフィギュアが酷使される撮影風景とかもいい。
  • 本作はSFではなくてSFについての話だと著者は称している。短編集の序文を担当したナンシー・クレスは「スーパーヒーローへの憧れが登場人物を滅ぼし、また解き放ちもする」と書いている。声高に物語の功罪を説かず、静かで奥ゆかしく、それでいて確かな情感の残る筆致は「二人称現在形」とも通じていると思う。