ピーター・ワッツ “βehemoth”

2004年7月、同年12月に二分冊で刊行。〈リフターズ〉三部作の第三作。
本文分量およそ154000語。日本語訳なら文庫770ページくらい。
前作 Maelstrom の感想はこちら

あらすじ

β-Max

レニー・クラークがベヒモスを地上に解き放ってから五年。グリッド・オーソリティを始めとするコープス(企業人)と有力者は大西洋の深海居住施設アトランティスに移住し、世界とベヒモスから身を隠した。海底に集結したクラークらリフターたちはアトランティスと抗争を繰り広げたが、現在は休戦に至っている。ある日、リフターのひとりが巨大深海魚に襲われ、新型ベヒモスに感染したことが判明する。深層循環の停滞した地点に立地するアトランティスベヒモスが流れ着くはずはない。リフターは深海魚由来の遺伝子で耐性も得ている。数年で都合のいい突然変異が起きたのか、あるいは人為的な改変か。リフターたちのアトランティスに対する疑念と憎悪は再燃し、危うくも保たれていた共存関係は崩壊してしまう。速断による衝突を止めるため、クラークは説得を試みる。

Seppuku

抗争の最中、第三勢力がアトランティスを攻撃しようとしている可能性が浮上した。その正体を探るため、クラークとケン・ルービンは五年ぶりに北米大陸へ帰還する。荒廃を極める地上でふたりは巡回医師のタカ・ウィレットと出会い、人工微生物を積んだミサイルが海外から飛来していると知る。その微生物、セップクがベヒモスを死滅させることを確認したクラークらは拡散のために動き出すが、ドローン越しに再会したアキレス・デジャルダンはセップクもベヒモス同様に致死的だと語る。果たしてセップクは福音なのか、それともその名の通り自決に至る諸刃の剣なのか。

感想

三部作完結編。第一部は深海編、第二部は地上編と、前二作の流れをおおむね踏襲している。新規のアイデアは少なく、ストーリーもパワーダウンの感が否めない。

滅びゆく地上をよそに海底でリフターとアトランティスが展開する争いは、どう考えても不毛だ。リフターを過度に刺激すればアトランティスは居住施設や発電設備を爆破され、海の藻屑と消える。リフター側からすると、新型ベヒモスの治療法を発見しうるアトランティスの科学者を排除しても自分の首を絞めることにしかならない。またアトランティス側が関与を否定しようにも、実は数十年前の時点で実験目的の製薬会社が環境中のベヒモスに手を加えていたせいでなんらかの痕跡は検出されてしまう。そうして確執を振り払えない両陣営は開戦に傾いてゆく。

今さら何をしているのかと正直読んでいてあまりそそられなかった。とはいえシリーズは一貫して報復を扱っており、そういう点では納得がいく。第一作はベヒモスという規格外の切り札を手にした除け者が社会に一矢報いる(変則的な)復讐譚だし、第二作でクラークは復讐の念から旅を続け、その旅路とともに台頭するカルトはベヒモスを傲慢な西洋文明に対する因果応報の神罰だと見なす。リフターとコープスとの衝突も人間が持つ報復性向の表れと言える。ラストシーンでも報復が問題になる(参考文献では登場人物の復讐本能が無効化された可能性が示唆されているが、あるシーンで当該人物が復讐に及んでいるのは気になるところ)。

第一部にはアキレス・デジャルダンの半生も挿まれている。どちらかというとこちらが面白い。子ども時代のデジャルダンは手酷い怪我を負った妹の姿に性的興奮を覚え、その後思春期を経て自らのサディズムを自覚するが、実行に移すことなく内心で耽るに留め、道徳的な青年として生きてゆく。やがて性交と暴力は脳内の配線が近しい快楽であり、合意のセックスだろうと暴力的で無礼なものだと考えるようになった彼は、仮想現実で自らの欲求を満たすようになる。ここの思考は『ブラインドサイト』の一人称セックス周りの設定に通じる。

第二部からは前作に引き続き罪悪感や良心、自由意志と責任が主題となる。陸に戻ったクラークは自らの復讐が招いた惨状に直面し、深い悔悟の念や贖罪の意志を抱く。さらに前作終盤でギルト・トリップから解放され、またどんな形の良心も感じなくなったふたりの男、ケン・ルービンとアキレス・デジャルダンが自らの行動をいかに選択するかが描かれる。良心の無化は当人の意志に反して行われたもので、ふたりは暴力的な衝動を持つ点で共通している。良心のない怪物になったのは自分の責任ではないと考えるデジャルダンはCSIRAとして日々何千人もの命を救いつつ、秘めていたサディズムを発揮してゆく。諜報員時代に機密保護の口実を設けてギルト・トリップの殺人反射を誘発していたルービンは、薬物のせいにできない自らの選択を下すため、己の衝動よりも強いことを証明するため、自分で定めたルールに忠実たらんとする。

第二部のストーリーはセップクが有益か否か、拡散すべきか否かを巡り右往左往し、遠回りして戻ってくるような印象。その曲折が最終的に報復の構図へと帰着するのは良いとして、各種の謎があっさり収束してしまうのは惜しい。肝心のセップクは生命に根本的な変化をもたらすが、あくまで可能性が示されるに留まる。


本作は性的拷問シーンで悪評を買っている。それはセップクの性質が明かされるシーンでもある。重要な設定の説明を拷問と並行する必要がわからない、別の見せ方もあったのでは、というのが批判の内容だ。単純に不快で胸が悪くなるとする感想も多いが、騒ぐほど執拗な描写ではない。そこが気にならないくらい他の部分が面白ければ良かったとは思うが。暴力性と良心について書いてきたのだから、サディズムを描写するのは筋が通っている。また時に多くの犠牲を出す企業活動と快楽殺人とを比べると後者をおぞましく感じるような人間の皮膚感覚の性質に触れており、その点でもテーマから逸脱していない。

これについてはこのインタビューが面白い。根幹に関わる設定の説明を小説に落とし込む際、暴力や危機を絡める技法が語られている。

余談

  • 『ブラインドサイト』で引用される架空の本『惑星に至る鍵』の著者ジェイコブ・ホルツブリンクは本書第一部に登場する脇役。
  • シリーズ通して海中パートは現在時制、地上パートは過去時制で書かれている。そういう書き分けがされているという以上の意味はなさそう。
  • 半年近く間の空いた分冊刊行は出版側の要請で不本意だったとか。本作よりはるかに分量の少ない既訳長編は一冊で出せなかったのだろうか。