グレッグ・イーガン “Worthless”

1992年8月 In Dreams に初出。
分量およそ4200語、日本語訳なら文庫20ページくらい。

あらすじ

脳活動を読み取るインプラント技術は効率的な世論調査を可能とした。音楽業界も大衆の好みに基づいたマーケティング戦略を展開、バンドの来歴、合成映像、楽曲、あらゆる要素を機械生成してヴァーチャルな音楽シーンを作り出していた。ハンバーガーショップで働きながら孤独に暮らす少年は週20ドルの報酬目当てにインプラント使用の契約を結ぶ。後日、惨めな自分の人生を肯定してくれるかのような歌がラジオから流れてきた。

感想

  • BCIで意見を集約して音楽シーンを量産というアイデアよりも孤独な語り手の居たたまれなさに目がいく。安定した仕事と妻子を得た現在から16歳だった2008年を回想する形式。脳活動を読む微小電極がフロッピーディスクやジュークボックスと同居しているのは今読むとちぐはぐ。チップからの発信を電話に取り付けたブラックボックスが収集する仕組みで、インターネットも携帯電話もなさそうな世界。
  • 「新・口笛テスト」とは音楽とマーケティングという点で共通。本作の場合は日々集計が行われるので「自分の意見が反映された」と思い込める余地がある。
  • BCIによる意見集約は世論を正確に把握できる真の民主主義と謳われているが、チップの移植者は2万人に過ぎず、政情には全く変化がない。閉塞感。
  • 語り手の境遇はどん底。16歳にして歓楽街のファストフード店で働いており、家賃を払ったらかつかつというほどではないにしても、内気で厭世的な性格から恋人はおろかルームメイトすら持てず、アパートの部屋で独り鬱屈した思考に耽っている。このどこにでもいそうな感じはイーガンにしては珍しい。語り手はラジオから流れる歌を聞いて「自分のことを歌っているのでは」と考えるのだが、語り手の造形も「こいつ俺じゃん」と読者に思わせるためのものに見えなくもない。
  • 「孤独な暮らしにはひとつだけ問題がある。思考という思考が頭蓋に跳ね返るばかりで返事をもらえないことだ。そのうち意識なるプロセスは独り言以外の何物でもないように思えてくる。子どもの頃は神様が絶えず心を読んでくれているんだと信じていた。馬鹿げて聞こえるかもしれないが、もしそうじゃないとしたら、このモノローグは誰のためのものなんだ。もちろん空想上の友人や恋人ならいたし、脳内を駆け巡る果てしない会話を共有する仲間も発明していたけれど、そんな妄想は往々にして崩れ、自らのとりとめのない言葉に聞き入るしかなくなり、ぼくを永遠に黙らせるには錠剤がいくつ必要だろうかとばかり考えてしまうのだった」。
  • 「人生は変わらなかった。ぼくは相も変わらずトイレの床のゲロマック(McVomit)を拭き取り、便器から注射器を掬い取っていた(浮力があって流せないし、手早く取り除かないと客が再利用してしまう)。相も変わらず手を繫いで目の前を通り過ぎるカップルを凝視し、相も変わらずカップルの後ろをうろつき、その身体から放射される何かが冷え切ったこの身に浸透してくれないものかと期待していた」。
  • 「不思議なのは一日一日、一年また一年と自分が存在を続けていることだった。毎朝目は覚めるが、奇妙な冗談は、人間性という幻想は覚めやしなかった。飲み食いし、呼吸し、排泄し、金を稼ぎ、形だけでも取り繕うよりほかはなく、それでいてそれ以上の何かをしようとするなんてどうかしていることはわかっていた。ぼくにも愛される権利はあった。翼を生やして飛べる権利があるくらいには」。
  • 自分の声が届いて歌になったのだと自惚れることはできるが、だとしたら相変わらず独り言を呟いているようなものだし、不特定多数の参加者の中に同じ境遇の人間がある程度いたから意見が反映されただけと理解してもいる。自分のための作品だと感じながら普遍に固有を錯覚しているだけだと自覚するもどかしさや、自閉したループの中で陶酔と憐憫を深めてしまう自家中毒。これを読んで共感するのはどうなのと自問するところまでワンセットのような。
  • 人恋しくなった語り手は職場の口座を着服して名簿を買い(当然ばれて解雇される)、似た境遇の人の元へ出向いて関係を築こうとするが、自分だったら知らない奴に話しかけられても怖いだけと考えて踏みとどまる。ひいきにしていたヴァーチャル・バンドは「不具合」として修正され、ヴォーカルが失恋のショックからODで死亡したという体裁で解散する。
  • 出来は微妙で訳されていないのも納得だが無下にするのも忍びない。感性工学をテーマに今のイーガンが書いたらどうなるのか読んでみたい。
  • Azciak の読みがわからない。そもそも何語なのか。