瀬名秀明「負ける」

2017年1月「ランティエ」2017年2月号に初出。
2018年2月『謎々 将棋・囲碁』に再録。
43字×17行×65頁。

あらすじ

永世名人を相手に投了せず戦い続けた将棋プログラム〈舵星〉に非難が殺到、学会側は翌年の対局に向けて潔く投了する機能の実装を宣言した。急逝した助教から対局用ロボットアーム〈片腕〉の研究を引き継いだ大学院生の久保田も合同開発チームに加わることになる。亡き兄に代わり〈舵星〉の開発を担う国吉、その姉にして棋士の香里とともに、久保田は将棋というゲームが持つ身体と言葉、知能に向き合っていく。

感想

常套句、定型句、型に嵌まった言葉を口にすることへのためらい。ここ数年、瀬名秀明が描く登場人物はそんな葛藤をよく見せるようになった。本作でも久保田は自らの言葉を探している。

自分はこの人の問いに正面から答えることができていない。彼女は大切なことをいま提示したのに、自分は研究者の卵として何も有益な見解を返せていない。自分の言葉で本当に応じられるようになること。それが研究者になるということではないのか。(p.204)
自分の言葉でうまくいえないことがもどかしい。開き直って久保田は教授の言葉をそのままぶつけた。声を上げることで自分の言葉にしたかった。(p.213)
久保田は借り物ではない自分自身の言葉で、いま彼女が語ろうとしたことを捉えたかった。(p.227)
もっと自分の言葉はあるはずなのに、しゃべればしゃべるほど誰かのいったことになってゆく。(p.228)

人工知能と死の概念、ゲームが持つ身体性、社会に一過性のブームとして扱われ盛衰を繰り返す科学技術、〈舵星〉の棋風、〈片腕〉の所作が形にする想い、時間の重み、敗北の意味。どの要素を取り上げても切実な思考が注ぎ込まれているが、何よりも力強いのは久保田たちが口にする言葉だ。彼らが迷いながら選び取る言葉はひたすらに真剣で、読んでいて涙が出た。本作には刺激的なガジェット、驚きのストーリー展開はほとんどない。未来を見据える研究者の姿と言葉がただただ胸を打ち、高揚を生む。それが嬉しい。傑作。

余談

チンパンジーは指さしをしないが、人が指さしをするのは人の心を読む能力の表れだ」と語る箇所がある。指さしと想像力の産物の最たるものが星座で、舵星のネーミングはその意味でも象徴的だなと思う(同時に円城塔が書いていた「星を指さされても相手の目の位置には立てないのでどこを指しているかよくわからない」という一節も思い出す)。

著者は2018年10月からウェブ上で長編『紀元ギルシア』を連載中。