ピーター・ワッツ「島」に関するメモ

原文は著者サイトで公開されているものを、翻訳はSFマガジン2011年3月号を参照した。

We are the cave men. We are the Ancients, the Progenitors, the blue-collar steel monkeys.

ウェブ公開版で加筆修正された冒頭。ワープゲートをあちこちに残したまま消え去りがちな古代人や開祖を建設作業員として描くユーモラスな開幕。

All these hybrids and posthumans
交雑し異型化した人類(SFマガジン2011年3月号、p.10)

ハイブリッドがどういう存在を指しているのかいまいちわからない。機械と融合しているとかだろうか。

There was a time we dared to hope that they really were like us, that the circle had come round again and closed on beings we could talk to.
以前のわたしたちは、おたがいに大差がないのであれば接近遭遇や意思疎通も夢ではないのではないかという希望をいだいていた(p.10)

変化が一周回って話しかけられる存在に近づいたのでは、か。

He looks almost natural.
〝うすらぼけ〟なのかという印象を与えるほどだ(p.11)

遺伝子工学の手が加わっていない天然ものなのかと思った、ということ。

Our reinforcements were supposed to be pristine, built from perfect genes buried deep within Eri's iron-basalt mantle, safe from the sleeting blueshift.
本来、わたしたちの支援要員は純粋でなければならないことになっている。青方偏移への耐性をそなえた完璧な遺伝子群が〈エリ〉の鋼鉄製の船体のいちばん奥に保管されており、それによって人材を補充するのだ(p.11)

エリオフォラは小惑星宇宙船なので玄武岩マントルは文字通りのもの。青方偏移した宇宙線に耐性がないからこそ仕舞い込んでいる。

Alive for maybe twenty of them.
いや、二万歳かもしれない(p.12)

(一万年のうち)起きていたのは二十年くらいだろう。

But too simple for a rosetta signal. [...] Nothing to base a pidgin on.
とにかく、長文にしてはあまりにも単純です。(中略)まぜこぜに使われているとも思えません(p.13)

ロゼッタ・ストーンのような信号にしては単純で、ピジン言語を構築できるものも皆無。

Use a bunch of bad eyes to fake a good one.
何も見えていないようなふりをしながら、こっそりと様子を窺いなさい(p.13)

個々の目の解像度が低くても適切に配置してやれば良い目として使える。

"You don't have any information. About something that could probably stop this mission dead in its tracks if it wanted to. So maybe we should get some."
「情報が足りないどころか、何もないんでしょ。むこうにしてみりゃ、そのつもりになれば建設を阻止するぐらいは簡単に違いないわ。こっちも手を打たないと」(p.14)

情報がない状況で簡単に違いないはちょっと言いすぎか。まずは情報収集を。

"It may run the ship," I tell him, "but it's pretty fucking stupid. Sometimes you've just got to spell things out."
「業務管理もけっこうだけどね」わたしは彼に釘を差す。「ただやればいいってもんじゃないのよ。知恵を絞らなきゃならない場合もあるんだから」(p.14)

チンプは船を操れるけどとんでもない馬鹿。詳しい指示が必要な場合もある。

Contrast on both sides has been conveniently cranked up to highlight the dwarf's endless winking for merely human eyes.
両者を並べてみれば、明滅をくりかえしている矮星のありようが肉眼でも一目瞭然だ(p.14)

どちらの映像もコントラストがほどよく強調されている。

as a standard candle.
おだやかに燃える蝋燭(p.14)

標準光源。

"What's the current field-of-view for Eri's forward scope?" "Eighteen mikes,"
「ここに表示されている〈エリ〉の前方視界は?」「十八マイク」(p.15)

mike は minute の意か。視野が18分ということだろう。角度に思えるが正確な単位は不明。

Two orders of magnitude too high, even for a nebula.
超新星の事例で考えても二桁ほど高すぎる(p.15)

星雲。

Peak false-color at near-infrared.
赤外ぎりぎりまで色調補正を上げてちょうだい(p.16)

フォルス・カラーのピークを近赤外線に。

For the first time in millennia, I miss my cortical pipe. It takes forever to saccade search terms onto the keyboard in my head, to get the answers I already know.
何千年ぶりのことだろうか。わたしは頭の中が真白になってしまう。必要な言葉も出てこないし、わかりきっているはずの問いにも応えられない(p.16)

皮質リンクが恋しくなった。眼球運動で脳裏のキーボードに検索語句を入力して既にわかっている答えを得るために、永遠とも思える時間が過ぎる。

There are even hints of some kind of lead-based Keipper pigment, soaking up X-rays in the picometer range.
くわえて、ピコメートル波長域のX線で走査してみたところ、鉛を含むケイッパー色素の一種が存在している可能性もありそうだ(p.16)

コメートル波長域のX線を吸収する、か。ケイッパーの由来はわからなかった。

Chimp hypothesizes something called a chromatophore: branching cells with little aliquots of pigment inside, like particles of charcoal dust. Keep those particles clumped together and the cell's effectively transparent; spread them out through the cytoplasm and the whole structure darkens, dims whatever EM passes through from behind.
チンプは〝色素胞〟――小さく等分された炭の粉末のような色素粒を内包する枝状の細胞――の一種なのではないかと仮説を立てた。透明な細胞質の中にたっぷりと色素粒が凝集しており、電磁波を浴びると黒化する(p.16)

粒子を凝集させると細胞が透明に。細胞質中に粒子を拡散させると全体が黒ずみ、後ろからきたどんな電磁波も薄暗くする。

Not to mention whatever miracle solvent that thing must use as antifreeze...
凍結から護ってくれる奇跡のような処理法があれば話は別だが……(p.17)

「あれが不凍液として使っているはずの奇跡の溶媒については言うまでもなく馴染みがない」。凍結しなければ遺伝子を守れるというわけでもなさそう。

Confusion on that face, and a fuzzy circuit closing somewhere.
彼は途方にくれた表情のまま、ファジーな思考回路をどこかで遮断してしまったようだ(p.17)

回路の開閉が逆か。

My son is an idiot. [...] Okay, so my son is an idiot savant.
バカ息子。(中略)なるほど、バカ息子とはいえ専門知識はあるらしい(p.17)

イディオ・サヴァン

Use the BI lasers, alternated to pulse between 700 and 3000 nanometers. Can boost an interlaced signal into the exawatt range without compromising our fenders; gives over a thousand Watts per square meter after diffraction.
七百ないし三千ナノメートル波長のBIレーザーを使います。こちらの船体と干渉する心配なしに、多元的な信号をエクサワット規模で飛ばすことができます――屈折による減衰が生じてもなお一立方メートルあたり一千ワット以上です(p.17)

波長700nmと3000nmを交互に送信する。インターレース信号。回折。BIがなんの略かわからない。

The chimp's dead, blackened eye gazes down from the ceiling;
チンプの無機質な暗い視線が天井から見下ろしてくる(p.18)

監視が無力化されている。

I'm reluctant to venture out where the chimp's nerves have not been so thoroughly cauterised. [...] The damn thing already knows I'm up; it may be blind, deaf, and impotent in here, but there's no way to mask the power the crypt sucks in during a thaw.
とはいえ、チンプの神経組織にまだ腐食してしまっていない部分があるとしても、わたしは調べてみるつもりになれない。(中略)あんちくしょうも、こちらが手詰まりだと知っている。感覚が衰えたあいつはおよそ無力だが、冷凍睡眠を解く過程での存在感は圧倒的だ(p.18)

チンプの神経が徹底的に焼灼されていないところには踏み出したくなかった。(中略)わたしが起きていることは向こうも承知済みだ。ここにはあいつの目も耳も届かずどうしようもなくても、解凍時に納骨堂が消費する電力はごまかせない。

we just go through the motions now, rattling our chains like an old married multiplet resigned to hating each other to the end of time.
わたしたちは調子を合わせ、老いさらばえて憎しみさえも枯れ果てた伴侶同士のごとく、時間が尽きるまで絆を保っていくしかない(pp.18-19)

「今は形だけ互いの注意を引き合っている。時間の果てまで憎み合うしかない似た者同士の老夫婦のように」。マルチプレットは電荷以外の性質が似ている粒子、らしい。

腐った卵のような臭い(p.19)

硫化水素による冬眠。

socialising a toddler couldn't have been anyone's idea of a good time.
赤ん坊がおいそれと社会に順応できるはずもないだろう(p.19)

赤ん坊を社会に順応させるなんて誰にとっても楽しい時間じゃない。

But even I would've brought him up to speed.
とにもかくにも、彼にはしっかりと働いてもらわなければ(p.19)

いくらわたしでも事情の説明くらいはしてあげたはずだ。

That twitchy kid is out of the loop for a reason.
あの子がやたらと常軌を逸しているのも、それ相応の理由があるはずだ(p.19)

あの子はなぜか仲間外れにされている。

I arrive at my suite, treat myself to a gratuitous meal, jill off. Three hours after coming back to life I'm relaxing in the starbow commons.
わたしは自分の部屋へ辿り着くと、ささやかな食事を作り、腹を満たす。生き返ってから三時間もすれば、宇宙空間での日常になじむことができる(p.19)

「奮発して必要のない(豪勢な)食事をし、自慰に耽った」。星虹を望む共用部。右舷船首ってことはないか。

It is a blink. 428's disk isn't darkening uniformly, it's eclipsing.
明滅といっても、その光の変化は漸次的だった。DHF428の表面が一様に光量を増減させているのではなく、満ち欠けによるものだったのだ(p.20)

それはまさしく『まばたき』だった。

latency.
潜在(p.20)

レイテンシ。

Which is why I educated myself on the subject,
わたしがあえて自分自身を研究したのも(p.20)

単に自我について勉強した、と言っているのかも。

The thing about I is, it only exists within a tenth-of-a-second of all its parts. When we get spread too thin—when someone splits your brain down the middle, say, chops the fat pipe so the halves have to talk the long way around; when the neural architecture diffuses past some critical point and signals take just that much longer to pass from A to B—the system, well, decoheres. [...] I shatters into we.
ちなみに、自我というのは、身体の全部位に対してほんのちっぽけな領域を占めているにすぎない。それを極端に薄く伸ばそうとすると何が起こるか――たとえば、中途半端に切断された脳の内部で情報伝達が行われる場合、本来の状態よりもはるかに時間がかかる。神経組織のいずれかの要所に乱れが生じれば、A点からB点へは迂回路を使うことになるわけだ――伝達システムの再接合といったところか。(中略)自我の多元化(p.20)

「『わたし』なるものは、全構成要素が十分の一秒の範囲内にあるときしか存在しない。それが薄く広げられるとしよう――例えば脳梁をぶった切られて脳が真っ二つになった場合、両半球の会話は回り道を強いられる。神経構造が決定的な閾値を超えて拡散し、信号がA点からB点に伝わる所要時間がその分だけ長くなると――システムはデコヒーレンスを起こす。(中略)『わたし』は砕け散り、『我々』になる」。ここでデコヒーレンスを持ち出すのが適切なのかどうかわからないが、単に分裂すると言っているだけかも。

what's the synapse count on a circular sheet of neurons one millimeter thick with a diameter of five thousand eight hundred ninety-two kilometers?
厚さ一ミリメートル×五八九二キロメートル四方の中に存在するであろうシナプスの数はどれくらい?(p.20)

厚さが1mmで直径が5892kmある円形の神経組織。

It's astronomically unlikely that we just happen to be aiming at the one intelligent spot on a sphere one-and-a-half AUs across.
一・四AUも離れた場所にいる知的生命体ときっちり正対するなんて、当たり外れで考えりゃ、まさしく天文学的な何とやらにきまってる(p.23)

直径が1.5AUもある球面の知性を持った一点にたまたま狙いが定まるなんて。

"There's probably a whole population of the things, sprinkled though the membrane like, like cysts I guess. The chimp doesn't know how many, but we're only picking up this one so far so they might be pretty sparse."
「ありったけの細胞があそこに偏在して、包嚢のようなものを形成してる可能性のほうが大きいわ。実際のところはチンプも把握できてないけど、現時点でひとつしか確認されてないのに、他にいくつもあるとは思えないでしょ」(p.23)

集団が膜全体にかなり疎らに点在している。

アシュビーの法則(p.24)

複雑系研究者のウィリアム・ロス・アシュビー。「複雑なシステムを制御できるのは同等かそれ以上に複雑なシステムだけ」といった感じの法則。

You've got to hand it to them, too;
そう、手綱を渡してしまったということだ(p.24)

(計画立案者たちのことは)よくやったものだと認めざるをえない、か。

Oh, don't even fucking try.
ほら、ごまかすんじゃないわよ(p.24)

(通信リンクを)試しても無駄。

or you wouldn't even be sneaking in here.
そうでなきゃ、こんなふうに探りを入れてこられやしないわ(pp.24-25)

ウェブ公開版では削除されている一文。あえて修正した理由はよくわからない。

I imagine custom-made drones never seen by human eyes, cobbled together during the long dark eons between builds;
たとえば、人間の眼では捉えることのできない特殊な偵察機が無限の闇に包まれた宇宙空間を飛びまわっていたかもしれない(p.25)

次の建設までの長く暗い永劫の時間に乱造される、目には見えない特製ドローン。

a million years is more than enough time to iterate through every possibility using simpleminded brute force
百万年かそこらも対立が続けば、愚直としか思えないような真向勝負にまぎれて暗躍をくりかえしていたにちがいない(p.25)

単純素朴な総当たりであらゆる可能性を検討するにしても、百万年あれば充分にすぎる。

two or three hundred years, to ration across the lifespan of a universe.
その時間を分割すれば、寿命は二百ないし三百年になる(p.26)

「二、三百年を宇宙の寿命に割り振る」。妙に寿命が長い気がするが、遺伝子工学のおかげか。

ten or fifteen builds out, when the trade-off leaves the realm of mere knowledge and sinks deep as cancer into your bones—you become a miser.
十か十五ほどの現場で働き、妥協のもたらす経験則が癌細胞のごとく心身を冒すにつれて――誰もが惨めになっていく(p.26)

誰もが守銭奴になる。

Time for a hundred postgraduate degrees, thanks to the best caveman learning tech.
博識な技師たちが集められていたおかげで、何十もの大学院課程を履修できるようになっていた(p.26)

最高の学習技術=VR睡眠学習を使って、という意味か。

where the soft vaporous vacuum of the interior bleeds into the harder stuff outside.
固体状の物質が真空中で揮発する様子も確認できるという(p.27)

ガスが充満した内側の真空が外側のもっと希薄な真空に噴出している。

the ship might torque onto the new heading but the collapsed mass in her belly would keep right on going, rip through all this surrounding superstructure without even feeling it.
旋回運動と慣性の干渉により、超素材といえども簡単に捻じ切れてしまう(p.27)

船は新たな方向へとトルクをかけられるだろうが、内に抱えた崩壊質量(ブラックホール)は進み続け、周囲の上部構造を何の気なしに引き裂いてしまう。

A squinting God would be able to see the gnats and girders of ongoing construction on the other side, the great piecemeal torus of the Hawking Hoop already taking shape.
ホーキングの環が巨大なトーラス状の姿を見せたことで、斜にかまえた神も建設計画の詳細を知ったというわけだ(p.27)

トーラスのごく一部を一瞥しただけで何を作っているか察した、ということか。

Even something as simple as a pinhole camera gets hi-res fast if you stipple a bunch of them across thirty million square kilometers.
ピンホールカメラのように単純なものでも、三千万平方キロメートルの範囲を撮影するには充分な解像度を得ることができる(p.28)

三千万平方キロメートルに渡って大量に配置すれば。

If we move now we've only got to tweak our bearing by a few mikes to redirect to the new coordinates.
今すぐに移せば、新しい座標に適合させるために二マイクかそこらも出産時期を調整するだけですむわ(p.28)

針路を数分数 mikes ずらすだけで。角度。

all conservation criteria
あらゆる必要条件(p.28)

生命保護基準。

blink us to death?
呪いの信号?(p.29)

まばたきで殺すとでも。

There was a time, back before things turned ugly, when we had clearance to reprogram those parameters. Before we discovered that one of the things the admins had anticipated was mutiny.
遠い昔、まだ大きな亀裂が生じていなかった頃は、わたしたちにもパラメータを書き換える権限が与えられていたものだ。お偉方がそれを叛乱の温床だと槍玉にあげるまでは(p.29)

「その後、わたしたちはお偉方が叛乱を予想していたことを知った」。任務を勝手に終了させるほどの変更は認められていなかったということだろう。

Under the pretense of assisting in my research it tries to deconstruct the island, break it apart and force it to conform to grubby earthbound precedents. It tells me about earthly bacteria that thrived at 1.5 million rads and laughed at hard vacuum. It shows me pictures of unkillable little tardigrades that could curl up and snooze on the edge of absolute zero, felt equally at home in deep ocean trenches and deeper space. Given time, opportunity, a boot off the planet, who knows how far those cute little invertebrates might have gone? Might they have survived the very death of the homeworld, clung together, grown somehow colonial?
わたしのリサーチに協力するふりをする一方で、あいつは〈島〉を解体できないものかと考えている。ばらばらに細分化して土に還すつもりなのだ。あいつの説明によれば、〈島〉に存在する地中バクテリアは百五十万ラド、真空とは思えない数らしい。画像を見ても、絶対零度の世界がそこに広がっているというのに、殺そうとしても死ぬことのない小さな緩歩類が這いまわり、深海の底だろうと宇宙の果てだろうと住めば都といわんばかりの様子が窺える。永い歳月を経て、幸運に恵まれたら、あのちっぽけな無脊椎動物はどこまで行けるのだろう? 故郷の世界が滅びても仲間同士で支え合い、他のどこかへ入植するのか?(p.30)

「わたしの調査に協力するふりをしつつ、チンプは〈島〉の脱構築を試みた。分解し、卑しい地球産の前例にこじつけようとしたのだ。『地球には百五十万ラドの放射線を吸収しても平気で繁栄し、真空を笑い飛ばすバクテリアがいたんだ。小さな不死身のクマムシは丸くなったまま絶対零度ぎりぎりで居眠りし、海溝の底や深宇宙をわが家同然に感じていた。時間と機会に恵まれて惑星を離れたとき、このかわいらしい無脊椎動物がどこまで行けるかなんて誰にもわからない。故郷の死を乗り越えて団結し、コロニーを形成することもありえるのではないかね』」。バクテリアはデイノコッカスか。

I acquaint myself with phenotypic plasticity and sloppy fitness, that fortuitous evolutionary soft-focus that lets species exist in alien environments and express novel traits they never needed at home.
わたしは自分自身のたるんだ肉体に形質的可塑性を見出し、さまざまな生物種が決して居心地の良くない未知の環境でも存在していけるのは進化における幸運なソフトフォーカスのおかげだと悟る(p.30)

「表現型の可塑性とゆるい適応度のことなら熟知している。生物が未知の環境で生存し、本来の環境では必要なかった新たな形質を発現できるのは、進化的なソフトフォーカスの偶然によるものだ」。sloppy fitness という用語を使っている学者がいるっぽい。

for violence, I begin to see, is a planetary phenomenon.
なにしろ、どんな天体にも破壊はつきものだとわかってきたのだ(p.30)

暴力はせいぜい惑星レベルの現象だから、その域を脱している〈島〉が脅威であるとは示せそうにないということ。

And even if you beat those odds, cobble together some lumbering armored chassis to withstand the slow crawl onto land
その危機をまぬがれたとしても、装甲式の無限軌道車両のようなものをこしらえ、ゆっくりでいいから場所を選ばず動きまわれるようにしておくべきだ(p.30)

不格好な甲殻をこしらえて陸地へのろのろと這い上がれたとしても。

We're in one of the social alcoves off the ventral notochord, taking a break from the library.
わたしたちは資料室を出たところにある休憩所で一服している(p.31)

ライブラリは専用の部屋というより電子的なデータベースか。脊索はワッツがよく用いる生物的な比喩だが、船のどのあたりなのかピンとこない。

People figured if we made it to the stars at all, we'd have to do it ships maybe the size of your thumb.
それをやるとなりゃ、きっと、世間はわたしたちが親指ほどの大きさの船を使ってるに違いないと思うわ(p.31)

(大質量の船を加速させるには膨大なエネルギーが必要だから)恒星間航行を成し遂げるには親指大の船を使わなきゃいけないと昔の人は考えていた。

But suppose you can't displace any of that mass.
だけど、質量はゼロにならないはずよ(p.31)

質量を全く変位させられなかったらと考えてみて。

How about developing a little rapport with the folks who might have to save your miserable life next time you go EVA?
日頃から周囲と仲良くしておきゃ、おもしろくもない船外活動のときの話し相手ができるんじゃない?(p.34)

船外活動のときに命を救ってくれるかもしれない。

Any normal caveman would see it in a second
原始人だって一目瞭然のはずなのに(p.35)

普通の穴居人(エリオフォラ乗組員)なら。

Before Sunday Ahzmundin, eternity's warrior, settled for heaping insults on stunted children.
永遠の戦士たるサンデー・アゥズムンディンに向かって役立たずの息子が罵詈雑言を浴びせるなど、許されるはずもなかった(p.35)

発育不全の子どもに罵声を浴びせるだけで我慢するようになった。

the chimp drew too many conclusions from our torrid little fuckfest back in the Cyg Rift.
はくちょう座の時空の裂け目での不幸な事故についてチンプが難しく考えすぎたせいかもしれない(p.35)

はくちょう座暗黒星雲にいたころのわたしたちが情熱的に交合していたのを。

He's as much yours as mine, Kai, time to step up to the plate,
カイ、あんたもあの子の親ってことになるわけね。培養器の中から始まって(p.35)

責任を担うときがきて。

They say every selfless act ultimately comes down to manipulation or kin-selection or reciprocity or something,
無私無欲なんていうのは黒幕だの縁故主義者だの互恵主義者だのが正体を隠しておくための建前にすぎないとか、そんなふうに決めつける連中もいるけど(p.37)

無私無欲に見える行為も突きつめれば操作や血縁選択、互恵関係に行きつくと言われる。

So he hasn't drawn your shift since Sagittarius.
たしかに、いて座で彼と当直を交代したきりだった(p.37)

「いて座以来シフトを共にすることがなかった」。シフトとシフトの間は数千年あるので当直の交代みたいなものはたぶんないと思う。

Except for those little cannibalized nucleotides the chimp recycled into this defective and maladapted son of mine.
チンプはその遺体のヌクレオチドを再利用に回し、心身ともに欠陥をかかえるこの子を誕生させた(p.37)

カイが死んだときのシフトにディクスは参加していたのだから、事故の後に生まれるのはありえないはず。チンプの手が加えられた遺伝子しか残っていない、という意味か。よくわからない。

no decorations on the walls, no artwork or hobbies, no wraparound console. The sex toys ubiquitous in every suite sit unused on their shelves;
壁飾りもない、絵も模型もない、ワードプロセッサもない。あらゆる嗜好に応えられるようにと支給された各種の性具でさえ、どれひとつとして手を触れた形跡さえない(p.38)

wraparound がなんなのか不明瞭。大型のコンソールかもしれないし、包み込むもの=VR用の機器とも取れる。性具はどの部屋にも置かれている。

eyes flickering beneath closed lids in vicarious response to wherever his mind has gone.
閉じた瞼の裏側では無意識下の代謝反応である眼球運動がくりかえされる(p.38)

「その精神がどこか別の場所でしている体験に反応して」。vicarious が訳しにくい。

How has that machine tricked you into treating such thin gruel as a feast?
これっぽっちの回線でそこまでやれるとは、あの機械め、どんな裏技を駆使しているのだろう?(p.39)

どうやってこんな薄い粥をごちそうと思わせているのか。

Someone should have warned me about you, Dix. Maybe someone tried.
あんたの存在をわたしに警告しようとしてくれた人たちはいたのかもしれないわよ、ディクス。これがその努力の跡だとすれば(p.39)

誰かが警告してくれたらよかったのに。警告を試みた人はいたのかもしれないが。

You're getting too much grief from the old guard so you're starting from scratch with people who don't remember the old days. People you've, you've simplified.
いつまでも過去を引きずっていかなきゃならないのが気にくわないから、人間の記憶を整理するつもりでしょ。単純化すれば思いどおりになるだろうってね(p.40)

古株に散々苦しめられてきたから、昔のことを憶えていない単純化した人間を一から作り出そうとしている。

The drone's feed shows Dix clambering across a jumbled terrain of basalt and metal matrix composites.
偵察機からの映像には、耐熱タイルと合金素材に覆われた船体の修理に悪戦苦闘しているディクスの姿が捉えられている(p.40)

玄武岩と合金が織り成す複雑な地形を這い回っている。

when he just showed up one day and nobody asked about it because nobody ever...
どこからともなく現れたにもかかわらず、他の乗組員たちは何も疑わずに彼の存在を受け入れ(p.40)

今まで誰も問いただすことがなかったから何も聞かなかった、か。

it's a simpler system trying to figure out a smarter one,
より明晰であろうとするしか能のない、より単純なシステムにすぎない(p.41)

自分より賢いシステムを理解しようとしている単純なシステム。

"A favor," the chimp replies. "To be repaid in future."
「厚意だ」チンプが答える。「将来的な関係修復のために」(p.41)

「将来返さなければならない恩を」。repair との見間違えか。

The factory floor slews to starboard in our sights: refineries, reservoirs, and nanofab plants, swarms of von Neumanns breeding and cannibalizing and recycling each other into shielding and circuitry, tugboats and spare parts. The very finest Cro Magnon technology mutates and metastasizes across the universe like armor-plated cancer.
前方視界の右寄りは大規模な工業団地さながらの光景だ――精錬施設、貯蔵施設、ナノマテリアル加工施設、フォン・ノイマンも数えきれないほど展開しており、防護材、回路、タグボート、予備の部品などを作っては壊し、再利用をくりかえしている。クロマニョン人の時代から変異と遷移をたどった極上のテクノロジーは、装甲をそなえた癌細胞さながら、宇宙を渡り広まっていく(p.42)

「わたしたちが見守るなか、建設現場が右舷方向へと移動する。精錬施設、貯蔵施設、微細加工施設。増殖するフォン・ノイマンの大群は互いを喰らい合って再利用し、防護材、回路、タグボート、予備の部品に姿を変える。まるで装甲をそなえた癌細胞のように、至高のクロマニョン・テクノロジーは変異しながら広い宇宙に転移してゆく」。フォン・ノイマン自体が材料になる。クロマニョン人というのはエリオフォラ乗組員、あるいはかつての人類を指した表現だろう。

And hanging like a curtain between it and us shimmers an iridescent life form, fragile and immortal and unthinkably alien, that reduces everything my species ever accomplished to mud and shit by the simple transcendent fact of its existence. I have never believed in gods, in universal good or absolute evil.
そして、そちらとこちらのあいだでカーテンのように波打ちながら燐光を放つ小さな生物の群れ。弱々しい限りだが決して滅ぶことはなく、わたしたち人類がどれほど発展を遂げようとも最後はかならず土に還る、その終末をつかさどっている存在だ。わたしは神というものを、無謬にせよ絶対悪にせよ、一度たりとも信じたことがない(p.42)

虹色に揺らめく一個の生命体は脆くとも朽ちることがなく、想像を絶するほど異質だ。シンプルで超越的なその存在を前にすれば、人類が達成した偉業も全て無に帰す。わたしは神を信じていないし、普遍的な善や絶対悪なんてものも信じていない。

Even now, mere minutes from ignition, distance reduces the unborn gate to invisibility.
あと数分で点火というところでさえ、誕生を待つゲートまでの距離を目測することはできない(p.42)

単純に遠くて目標地点のゲートが見えない。相対論的速度でなくとも宇宙で距離を目測するのは厳しいと思う。

I turn to the drone's-eye view relayed from up ahead.
わたしは船首上方にいる偵察機からの映像を眺める(p.43)

前方からドローンが中継する映像。

"Maybe thought those coordinates were empty."
「相手には実体がないと思いこんでたのかもしれません」(p.45)

あの座標には何もないと思っていたのかもしれない。

余談

  • 原文のディクスはしょっちゅう主語を省略して話す。これは単純化と効率を重視するチンプの影響だと思う。敬語よりは簡潔でぶっきらぼうな口調のイメージ。
  • やたらとでかい膜状生命はグレート・フィルターにかけた洒落か。