ピーター・ワッツ「天使」

アズラエルが得たものは人間の内臓感覚に近いのではないか、という思いつき。

整備のため露わになったアズラエルの機構は臓腑と表現され、結末では爆弾槽が子宮と形容される。もちろん機械の内部を臓器に見立てるのはありふれた描写だろうし、後者については『神は全てをお見通しである』収録の解説で、

短編「天使」(二〇一一年発表)においても、ある知性が意識を捨て去る・・・・瞬間を、言祝ぐべき受胎告知と降誕の場面を上書きする光景として描く、という手法が鮮やかに用いられています。

と述べられているが、他の作品を読むと別の含みもあるような気がした。

気になったのは gut という単語。腸や内臓を意味し、gut feeling や gut reaction の形で直観、本能的反応を指す。たとえば“ZeroS”には次のような会話がある。

“This gut feeling giving you so much trouble. This sense of Right and Wrong. Where do you think it comes from, Sergeant?”
“Experience. Sir.”
“It’s the result of a calculation.A whole series of calculations, far too complex to fit into the conscious workspace. So the subconscious sends you — an executive summary, you might call it ... .”

“Incorruptible”にも、

Gut doesn't believe in consequences. Future doesn't even exist as far as the gut's concerned.

という台詞がある。著者サイトに公開されている作品を検索してみると、初期長編三部作でも gut はたびたび使われていることがわかる。また「天使」姉妹編の“Collateral”に登場する記者はサイボーグ兵士をこう言ってからかう。

“You do eat, though, right? You still have a digestive system?”

こんな何気ない台詞も兵士のその後を考えると意味ありげだ。digest は消化から転じて要約を意味するが、上で引用した会話中の executive summary に通じなくもない。

面白いのはキリストの憐れみも腸と関係がある点。「深く憐れんで」と訳されるのはギリシャ語のスプランクニゾマイで、これは内臓や腸を意味するスプランクナが動詞化したもの。他者の苦痛に対して内臓がかき回されるような感情を指すこの表現は、キリストにしか用いられていないとか。さらにヘブライ語のラハムは憐れみや子宮を意味する。

こうして「天使」へ戻ると、してはならない何かがあることをアズラエルに告げる信号は人間の内臓感覚と似ているように思えてくる。信号はたび重なる交戦と学習を経てためらいや不快感、瀕死の負傷者に一撃を施す慈悲めいたものへ至る。そして僚機が撃墜される死闘に続く結末で、胎を痛めて子を産む聖母、スプランクニゾマイするキリストのイメージが重ねられる。

無論アズラエルはコード、アルゴリズム、ルールに従っているだけだ。その信号は論理と定量的な分析に基づいている。肉体に由来する gut feeling はというと、どうやらそうではない。

人類はその皮膚感覚といったもののおかげで、よくも悪くも更新世のサバンナを生き抜いてきた――だが多くの場合、その感覚は間違っていた。間違った否定と間違った肯定。人は利害得失を考えるが、多くの命を救うためでも、一人の太った男をトロッコの前に突き落とせない。子供がいることは幸せだという感情的な思い込みのせいで、すべてのデータが不幸になることを示していても目を向けない。サメやテロリストの狙撃手など、自分がそれに殺されることなどめったにないものには大きな恐怖を感じ、毒や寄生虫など、自分が死ぬ危険が大きいものにはろくに注意を払わない。こうした間違いで心はすっかり腐っていて、本当に合理的な決断をするには、脳が物理的ダメージを受けている必要がある場合さえ存在する――脳を損傷した母親が燃える家の中で赤ん坊を見捨て、代わりに見ず知らずの他人二人を助けたりしたら、世間はそんな母親を〝救命ボートの倫理〟で合理的に行動したと賞賛するより、怪物呼ばわりするだろう。(『エコープラクシア』嶋田洋一訳)

ワッツ世界の登場人物はしばしばこういった感覚を取り除かれる。しかしながら一方的に直観を否定しているわけではないことは、両球派のありさまなどに見てとれる。

以下は余談。

冒頭で引用した解説の傍点部にひっかかった。読み返してみるとたしかに捨て去り解釈が妥当と思えた。指揮命令系統の問題ということだろうか。

結末近くの Down here it is free to follow the rules. は「掟から解き放たれる」というよりは「邪魔されることなくルールに従うことができる」というニュアンスか。