ピーター・ワッツ “ZeroS”

『エコープラクシア』登場の軍用ゾンビ、その草創期を描く中編。
2017年9月 Infinity Wars に初出。同年10月 Tor.com へ転載。
分量およそ14000語、日本語訳で40000字弱70ページほど。

あらすじ

武装勢力の襲撃で死亡したアサンテは西半球連合の軍人に取引を提案され、復活の代償に軍用ゾンビとして働くことになる。自動で戦闘を行う哲学的ゾンビの乗客となり各地で作戦に従事するうち、部隊の暗部が顔を出す。発狂する者、休暇中に突然ゾンビ状態となって殺人を犯し「配置転換」される者。アサンテ以外で唯一死から蘇った仲間であるティワナは、自分たちはベータテスト段階にある技術の秘密の実験台だと推測する。回遊人工島強襲作戦の最中、不意の跳弾を受けゾンビモードが停止したアサンテは、小さな子どもを脅威として排除した現実を前に動揺する。その作戦で失った下士官に代わり部隊へ加わったジム・ムーア中尉に、目元のチックや手の震えなどの副作用はなかった。ベータテストが終わる。ムーアが参加する初の作戦で侵入した北極圏地下の核廃棄物貯蔵施設にて、再び子どもたちが立ちはだかる。アサンテは疑念を抱く。なぜこんな廃墟に子どもが、と。

感想

「単に眠りにつくだけだと聞いたかもしれない。自意識を失って、肉体が自動運転で動くようになると。だから引金を引いたことを、あとになって悩む心配もない」老人の声にはかすかに苦々しさが感じられた。「まったくそのとおりだな、最近では。だが、第一世代タイプであるわれわれは――ずっと目覚めていた。当時はそれがいちばんいいとされていたんだ。運動系ループからは切り離せても、視床下部回路を閉じようとすると、自動行動の性能が犠牲になる。実際には可能だったが、わざと目覚めさせておいたという噂もあった――戦場を実際に体験し、あとで報告できるように――が、すっかり熱くなっていたわれわれは、気にもとめなかった。実にセクシーな最先端だったからな。ポストヒューマンというフロンティアの、最初の探検者になるのは」ムーアは小さく鼻を鳴らした。「とにかくだ。あまり成功したとは言えない任務をいくつかこなしたあと、〝ニルヴァーナ反復〟がロールアウトした。わたしにもアップグレードの打診があったが――よくわからん。とにかく、スイッチをオンにしておくことが重要に思えたんだ」(『エコープラクシア』嶋田洋一訳)

ゼロズ(ZeroS)とは軍用ゾンビとその部隊を指す言葉で、Zero Sum の略。ゼロサムとゼロスム(Cogito ergo sum)の駄洒落。

ゾンビモード時の目は高速のサッカードで常に揺れ動いており、乗客には視界が霞んで見える。目標に狙いを定める瞬間のみ焦点がカチリと合い、乗客も外界を垣間見ることができる、という設定。残りの触覚・聴覚・嗅覚・味覚によって乗客が感じる無明の世界を描写し、一瞬の合焦で戦闘風景を切り取る三人称現在形の文章は臨場感があり、とてもクールだ。

傍目には失策と映るゾンビたちの動きは、魔術めいた巧みさで目標を完遂する。各ゾンビが作戦遂行のためになすべきことを考えて動いた結果、通信が妨害された状況で集団戦略が発生するくだりはヴァレリーら吸血鬼を髣髴とさせる。

細部もまた楽しい。モードを切り替える際に念じる視覚的暗号マンダラ。発話を不得手とするゾンビたちが編み出す視覚版ピジン言語のジジン語(Zidgin)。肉体の欠損部位を再生する有尾類DNA。ボストン・ダイナミクス(BoDyn)製の戦闘機械ウルフハウンド。

死から復活したという意味でのゾンビ仲間であるティワナとの会話も、ベタながら印象に残るシーン。自分たちの処遇やゾンビが子どもを殺した理由について皮肉めいたことを言いつつ、それでも自分たちが死から蘇り今を生きていることはかけがえのないギフトなんだよ、とティワナは語る。対するアサンテはこう問う。どうしたらショーペンハウアーポリアンナを同時に宿して、頭を爆発させずにいられるんだい。

シャープな筆致で描かれるゼロズの戦いはその実、経済のコントロールやAI・ロボット・ドローンによる軍事作戦が失敗に終わり、ムーア大佐言うところの実体力を行使するほかなくなった敗戦の後始末である。非情な力を持つかに見える西半球連合も、数世紀を経てなお衰えることのない妄執と新たに抬頭する脅威に翻弄される人間の組織でしかない。

ワッツは倫理(ethics)と道徳(morality)の違い、道徳や良心の無効化を探究しているが、軍用ゾンビもその一環と言える。作戦遂行に支障をきたしかねない自意識はゾンビ化によって隔離される。

“Collateral”がウェブジンに転載された際のインタビューで、ワッツは「倫理はアルゴリズム的なものだ」と語っている。多数派の要求は少数派の要求より重いと言われて、道徳が納得しているのもその含意を考えるまでだ。道徳は言う。罪もない人々を殺すなんてできない、そんなの〝正しく〟ない。倫理は言う。救われる生命の総数を最大化するプランがここにある、実行せよ。

道徳の無効化は“Collateral”において「トロッコ問題への免疫」という表現で端的に示される。“Incorruptible”における脳の再配線処置は、長期的な利益のために短期的な犠牲を払うことへ喜びをもたらす。こちらは双曲割引の無効化だ。意味に拘る道徳、目先の利益を優先する形質が抑制され、アルゴリズムとしての倫理へ近づく人間の姿をワッツは描く。こういった選択は、問題のスケールがはるかに大きくなり、狭い小集団で暮らしていた古代に由来する欲求が障害となりうる環境を反映したものだろう。

生理的直感のせいで理性のパフォーマンスが低下するというのは頷けるが、そういった機能を排除するのが果たして最適なのか、という疑問はある。ムーア大佐のようにスイッチを握っておくことがひとつの答えと言えるかもしれない。

余談

タイトルと章題はデヴィッド・ボウイの楽曲名から取られている。